身代わり王子と秘密の花園みがわりおうじとひみつのはなぞの 目次(最初のページ)


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2007/10/21
2007/11/10
2007/11/12
10112007/11/20 ------(完結済)


 道にせりだしたカフェテラスに、声が響く。
「さよなら、アナタ」
 彼女は、赤く濡れた唇を緩く引いた。テラスは明るく、客が何人か、周りで茶を楽しんでいる。かつかつと歩き去る女に、男がみっともなく追いすがった。そして転ぶ。
「あぁイヤだ! 私、男一人も満足にフれない、安い女だなんて思われたくない」
 困ったふうに、軽く科(しな)を作り、やたら長い睫毛(まつげ)を瞬(まばた)かせる。男は、掴んでいた土を離し、おもむろに手を伸ばした。待ってくれ。女の服を掴む。女の顔色が、一瞬、ひどく青ざめた。男もまた同様だった。女の股の辺りの布地を掴んだ男は、悲鳴と共に手を離した。
 女は「ほらあっ!」と叫んで、逃げる男の腕を掴み取った。先程の場所に押し当て、男の耳に、大声で叫んでやる。
「声も顔も体も私本人って分かってるわね!?」
「わ、わわわわわ、分かってるう」
「言うなよ!? この流行病の呪いに感染したくなかったら、二度と私に構うなよ!?」
「ひ」
「隣町より先の、向こうへ行っちまいな!」
 がくがくと震え、男は手を自分のシャツにこすりつけた。
「え、女に変なもんついてるって、呪い!?」
「言うなっつったろ」
「まさかそんな」
 混乱し、よろけながら、男は怯えた顔で逃げていった。
「もー、二度と帰ってくんなよ」
 女は、いささか気楽そうに、男の背に手を振った。
「……ていうか、そういう呪いなんて、下(くだ)らなさすぎて、フツーは、ねーだろ」
 
「はい、フりましたよ」
 物陰に向かう。ぼん、と白い煙をたいて包まれた後には、うねる黒髪の美女はいない。
 代わりに、短い髪の少年が一人。彼の、蜜色に輝く頭を見下ろし、先程まで立ち回っていた女と同じ顔をした女性が、礼を言った。
「助かったわ。あの男、ちょっと遊んだだけなのに、独占欲出しちゃって」
「それは依頼時に聞きました」
「そうね。アナタ、私の声も体も顔も、しっかり、そっくりに化けてて……口上は今一つ、ダサっていうか、まぁへたくそだったけど、あのアホウは騙されてくれた」
「ダサ……」
 十四歳くらいの少年は、ショックを受ける。まだ女の胸元ほどしか身長のない彼に、女はさらに付け加えた。
「あ、でもスリーサイズ、本当は少し負けておいた方がいいわ。あんたったら、まだ若いから、私が服着てるときのサイズで判断しちゃって。多めにサバ読んでくれてたわよ」
 読みが浅かった、とぶつぶつ悩む少年を、女は面白そうに見つめ、笑った。
「でも、本当に助かった。しばらく、私にタマついてるっていうイヤな噂が流れるでしょうけど、イヤな夢見たと思って、アイツももう、来ないでしょ」
「いや、でもすみません。往来で、あの、下品なこと叫んだりして」
「私の評判が下がるって話? イヤね、神殿の聖女に向かって。娼婦は誰にとっても聖女。でも、見下す連中だっている。評判なんて、今更よ。でも、もし「ミス」ってことで返金があるなら、話は別よ」
 髪と同じ色の、透ける不思議な金色の目を覗き込み、女はにやっと、歯を出さずに笑って見せた。首を左右に振り、少年は、
「いや、払戻金とかは無理です。仕事は、しましたから」
「そうね。じゃ、これで取引はおしまい。私はアイツを追い払えたし、めでたしめでたし」
「これにサインを」
 少年から紙とペンを受け取り、女はさらっとサインする。文字が書けない者のために、文字の横には、分かりやすい絵が並んでいる。依頼内容によって、依頼人が丸をつけるだけで済むようにしてあるのだ。
「私は神殿付きだから、文字を習うけれど、なかなか皆が読めるというわけではないし。図書館でもあれば、便利なのにね」
 独り言を呟いて、女は紙を少年に渡した。
「東の国の魔法使いさん。どこからこの、ペンと契約書を取り出したの? 手品みたい」
「ペンを紙でくるんで、ズボンの尻に。逆流弁付きの、インクが垂れないペンなんです」
「……魔法じゃないの。魔法使いらしくないわね。カイツォーネさん?」
「はい?」
「本当、ありがとうね」
 笑った女が、去っていく。
 勿論、彼女だって、あんなもので男が引き下がるとは思っていないだろう。女があてにしているのは、魔法使いが「もう、つきまとわない」という男の言質(げんち)を取って、今の書面に加えてくれることだ。魔法使いの手による誓文があれば、男が女に近づいた際、魔法で縛り、裁判所に突き出す権利が持てる。
 この街には、カイツォーネ達以外の魔法使いがいない。だからちょっとしたことで依頼が来る。仕事があるのは助かる。ただ、
「自分より頭一つ以上でかい女に化けると、調子狂う……」
「かっちゃーん」
 短めの黒髪を揺らし、大きな目の少女が駆けてきた。思いの勢いに、体がついてきていない。足が、やたらもつれ気味だ。
「牛みてー」
 目玉の大きさと、突進してくる様子に、カイツォーネはぽつりと呟いた。
 ミレーネとカイツォーネ。二人は、東から来た魔法使いだ。ミレーネは薬草を煎じるのがうまい。明るくて、よく笑うし、人だけでなく獣に好かれる。なので今も、カイツォーネの隣に立って息を整えていたら、森のリスにたかられた。
「ごめんごめん、みんな、今、私、木の実も何も、持ってないよ」
 肩と頭のリスが、ぼと、と木の実を何個か落とす。スカートで受け止めて、
「くれるの?」
 ミレーネが聞くと、リスはたくさんの木の実を入れ替わり立ち替わり、分けてくれた。
「あーもうっ、もういいったら」
 ひとしきり笑って、ミレーネはカイツォーネの顔色が今一つよくないことに気づいた。
「今日のお仕事、うまくいった?」
「いった。でも、自分より大きい女に化けたから、どうも細胞が間延びしてから元に戻ったみたいで、調子がくるう」
 カイツォーネは肩を回す。近寄りかけていたリスが、ち、と小さく鳴いて素早く動き、逃げていった。
「そうね、体積が違う上に、性別も違うものね。いくら化け上手のカイツォーネと言われてても、知らない街で、開業してまだ一月位(ひとつきくらい)だし、自分の魔力と、土地の空気の流れがうまく噛み合わないのかも」
「あー、そうだなぁ」
 ミレーネの周りを、まだリスが走り回っている。リス達の移動の合間に、ミレーネは何かを思いついた。
「木の実をたくさんくれたお礼。宝物を見せてあげる。一つぐらいなら、あげてもいいよ」
 ミレーネは、ポケットの中にある貝殻を、大事そうに掌に並べた。
「東の海を渡るとき、船を待っている間拾ったの。漁師さんも、きれいなのをくれたのよ」
 肩につかまったリスの、ふさふさした尾が頬に当たる。くすぐったい。
「あらぁ、可愛(かわい)らしい物が好きなのねぇ」
 遠くから声がして、「アツォークさん!」兄妹の声が重なった。ミレーネは慌てて、貝をしまった。
「きらきらした物、好きなの? 小鳥みたいね、魔法使いの子狸(こだぬき)ちゃん達」
 野太いわりに高い裏声である。ミレーネは、びくりとし、耳をそばだて、人が来るのとは逆の方向に逃(のが)れようとした。カイツォーネの後ろに隠れる。
「ハァイ」
 手を振っていたのは、すらりと背高い、黒や青の宝飾品がうつくしい、黒いドレスの女、のような者だった。ふわふわと、パンケーキを重ねたように、黒い羽毛を重ねたストールを巻き付けている。あっと言う間に近づいた「アツォークさん」は、黒く塗られた爪の先で、つっ、とカイツォーネの顎をなぞった。反射的に身震いした彼の後ろで、ミレーネがびくびくと、上目遣いで見つめている。
 見目は普通の青年なのだが、アツォーク・リベラットは女物の服が好きだ。面白がって着ているだけで、女になりたいとかいう、繊細な思いから来たものでは、ない。
「ちゃんと貴方達、食べていけてる?」
「大丈夫です。おかげさまで」
「おかげさまで、なんて言わないでよ。私は森の手前に、居住を許可しただけなんだから」
「開業許可も、です」
 それを聞いて、赤と桃の間の色をした唇が、きれいな笑みの形になった。



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