身代わり王子と秘密の花園みがわりおうじとひみつのはなぞの 目次(最初のページ)


「そうね。それが市長補佐の役目ですもの」
「街の名士が市長をしていて、補佐として伯爵家の人が働く。古い領主は、伯爵とはまた別にいて――変わってますよね」
 カイツォーネは、住んで一月(ひとつき)近く経つ街について、話す。アツォークは、小首を傾げた。
「変わってるかしら」
「伯爵様って、偉い人でしょう?」
 伯爵は、偉いのに気さくだ。カイツォーネの後ろから、ミレーネが小声でそっと聞いた。
「畑持って、ぶどう育ててワイン売って、そうでもしなければ食べていけない。会社経営とあんまり違わないわ。伯爵(わたし)の家はね」
 飛び立つ水鳥のように、優雅な手つきで、アツォークがミレーネの頭を撫でた。硬直したミレーネは、手が離れてしばらく経って、自分の呼吸を再開した。
「それにしても子狸(こだぬき)ちゃん達」
「何で、私達のこと、子狸って言うんですか」
「あら。古今東西(ここんとうざい)化かすと言えば、狐狸(こり)妖精の類(たぐい)に決まってるじゃないの。洒落よ」
「よく知りません」
 二人に首を振られ、「そ? 東のほうが、この比喩の本場って聞いたけど」それ以上は別に気に留めていないらしく、彼の反応は軽いものだった。だが、
「何ですか、こり何とかって」
 実はアツォークの斜め後ろにずっといた、アツォークの部下である小柄な男が、やっと声を発し、存在をアピールした。アツォークが大きいので、中年にさしかかる細身の部下は、アツォークが身動きしても、カイツォーネ達の方からは、見えない。
「知らないの? 東では、人を化かすものをそう呼ぶのよ。狐とかが人を化かすの」
「ハンティングの対象じゃないんですか。魔法使いの使い魔みたいですね」
 ――というか「狐狸妖精」じゃなくて「狐狸妖怪」なんだけど。魔法使い兄妹はぎこちない笑みを浮かべた。
「人を化かしたり、いたずらをするのは、狐が有名かしら。私が読んだ文献によると。狸がちょっと、間(ま)が抜けているというか」
「狐はっ、あいつらは性悪なんです! ちょっと頭がいいからって、見栄(みば)えがするからって、狸よりも、ちやほやされて……!」
 唐突にミレーネが「あいつ」とか言って、拳を握って力説する。きょとんとした大人組に、気の抜けた棒読みで、カイツォーネが説明した。
「……俺達が小さい頃、狐がひどい性格で出てくる、本を読んだんです。それ以降、妹は大変激しく、あんなふうに」
「狐が嫌い、と。もったいないわねぇ、狐、あたたかくって気持ちいいのに」
 彼女(?)は、ふわさ、と、黒い、羽付きのショールを翻した。狐毛皮(けがわ)の話らしい。
「そこらへんは、狐に多少、同情の余地はあります」
「あら、そうなの?」
「毛皮ですから」
 幾分哀れみの目で、少年は、彼女(?)がまとう衣装を見やった。ガタイの良い体に、見栄えのしない服装をあえて選んでいるところに対する眼差しなのか、毛皮にされる狐に対するものなのか。判然としない。ともあれ、とアツォークは、手を打って話を変えた。
「まぁ、貴方達は十四歳。二人とも幼いものよ。いつでもまた、頼ってらっしゃいね。暖炉の薪が足りないとか、あれば、」
「そりゃアツォーク様三十七だし。薪なんて秋まで、煮炊き以外に使わないからそうそう足らなくなんないし。いまいち配慮に欠け、」
「うるさいわね」
 アツォークの部下が口を挟み、アツォークがぼそりと言葉を返した。黒い鳥がぶわっと羽を逆立てたように見えたので、子供二人は火が消えたように黙り込んだ。
 アツォークらと別れた後、カイツォーネとミレーネは、回り道で帰る。街は、大きな都市よりは田舎だが、石を積み重ねたまっすぐな建物が、こぢんまりと並んでいる。東大陸では、木の柱と土の壁で出来た、小型の家ばかり見ていたから、カイツォーネも最初、この大陸に船で来たときには、珍しく見えた。
 街を歩き進むうちに、ミレーネが斜めに道を横切る。石畳の真ん中を馬車が走って、ミレーネがひかれかけて危ない。カイツォーネは首根っこを引っ張って、今日は屋台が休業中で見あたらないだろ、と後ろから言ってやる。ミレーネは、残念そうにため息をついた。
「腹減ってるなら、違う店にしよう」
「でも、お金あんまり持ってないよ?」
 ミレーネは、じゃら、と、貝殻の入ったポケットを叩く。仕事はしたけれど、確かに、あまり贅沢はしづらい額の収入である。
「……じゃ、家で食べる。パンとハムぐらいあるんだろ?」
「一応、まだ残ってる。あとこのくらーい」
 手を広げて、幅を示した。そのぐらいなら十分だ。貰い物のハムを薄切りにして、庭で育てた柔らかい葉の、サラダにしよう。
「ハムも、そろそろおしまいだね」
「だなぁ。でも、しばらくは、天井のアレで肉はまかなえるだろ」
 この間マガモをとったので、木のチップで燻(いぶ)してから、天井につるして乾かしてある。
 歩いているうち、石畳がとぎれる。建物の連なりも、だ。街路樹の代わりに、どこかの家の庭木が、道の真ん中までさしかかっていた。土埃のあがる大きな道を歩いていく。やがて、左手に大きな建物が見えてきた。
 赤と白の煉瓦が、幾何学模様に積み重なり、遠目では、上等の毛織り絨毯の模様に似て見えた。美しい屋敷には、下方に青緑のツタが絡まる。上方には、紺色の屋根。不思議と景色になじむ、お屋敷だった。
「でかいなー」
「チョコレート・ウエハースを、横に立てて並べたみたい」
 二人して、ぼんやりと見上げていたら、後ろから人にぶつかられた。スられかけた財布と契約書は、金色の光でひときわ強く輝くと、手にした者をばちんと風圧で吹き飛ばした。
「ぼやぼやしてっから」
「かっちゃんもでしょ!」
「かっちゃんって言うなよ……」
 文句を言いながら、書類他をポケットに押し込む。ミレーネも、銀の口金(くちがね)のついた、黒い長財布を、スカートの内側に差し入れた。
「お前、えらいところに入れてるなぁ」
「だって」
 ミレーネが言い返しかけたとき、雨が降る音が聞こえてきた。見上げた空は、くすんだ青灰(せいかい)。雲は薄く、とても雨が降りそうにない。
「何の音だ、」
 首を巡らしたとき、ミレーネが、カイツォーネの服の袖をひいた。
 鳩だ。白い鳩が、屋敷から飛び立ち、すぐにまた、舞い戻っていく。屋敷に棲んでいるのだろう。ばらばらばら、雨音に似た羽の音が、高らかに響きわたっている。「外で糞(フン)をしないけれど偏屈爺んちは気味が悪い」、通りすがる人がそう呟くのが耳に入った。
「ふーん。怪しげなじーさんちなんだな」
「早合点だよ。人は見かけによらないの、かっちゃん」
「お前、人の話を聞いてなかったな……?」
 かっちゃんって呼ぶなって言ったのに。
 言いかけたが、ミレーネが先に言った。
「でも、怖そうな人達が出入りしてるみたい」
「人は顔によらないんだろ」
「うん。でも、」
 屈強な体の、強面の男達が、大きな板や工具を、閉ざされた広い門の脇にある、小さな戸口に運び込んでいる。金釘が何本か、白い砂埃の浮いた硬い土の道路に落ちている。馬が踏んだら可哀想なので(人は、道も広いし、避けるだろう)カイツォーネが拾って、戸口から出てきた男を呼び止め、返しておいた。
「木の釘じゃないのね」
 感心したふうにミレーネが呟く。
「錆びないかしら?」
「大丈夫だろ。この辺りは乾燥してるし」
「そうね……東の国とは、違うものね」
 そのときは、それで忘れてしまった。
 が、後日頼まれる。住所を書いた紙を、従者に渡され、カイツォーネは馬車を断って、
「準備をしてから、昼すぎに行きます」
 準備というか、ミレーネが街に薬を届けに行ったので、留守番していなければいけなかっただけだが。参りますっていうべきだった。


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