身代わり王子と秘密の花園みがわりおうじとひみつのはなぞの 目次(最初のページ)


 小さな図書館、といった風情の部屋で、ネハは呟く。
「おじーちゃんは、誠実な本が好きだから。子供向けの本だって、丁寧に書かれたものじゃないと、収集しようとしないんだ」
 彼はそっと、本の背表紙を指先で撫でる。上辺にたどり着くと、指が埃を拾ったようで、手を払ってからハタキでぞんざいに本をぶった。ぱたぱたぱた、と音が響く中、カイツォーネは意を決して口を開いた。
「……あの、おじいちゃんって呼ぶのって、」
「あぁ、別に親戚じゃないよ。俺はただの使用人だもん。馴れ馴れしいって?」
 彼はぺらぺらと軽快に話し続けた。
「馴れ馴れしいと、最初は首が飛ぶんだ。だけど、気づいたら堅苦しくてつまんなくて、その上会計操作して逃げちゃうよーな連中がたまってくるから、口が軽くて家の評判が下がるとしても、俺みたいに欲のない使用人が必要になっちゃうんだ」
 欲がないとか普通自分で言わないと思う。そもそも一度首にした人間を、またあの老爺は自分で雇いなおしたのだろうか。
 不思議な気がしたが、「誠実な本が好きだから」という彼の言葉を思い返し、あの老爺なら、見かけではなくて心底を見るのかもしれないな、と好意的に考えた。
「誠実な本が好きっていうのは、」
「はい?」
 連想で、話が飛んで元に戻った。ぱたぱた、とハタキをかけて歩きながら、ネハはカイツォーネに振り返った。
「何?」
「軽い気持ちで書かれたものに感動させられるのって、腹が立つんじゃないですか。だから、卿(けい)は、丁寧な本を選ぶ……」
「愛情がなくても超おいしいパン、には心理的に抵抗があるって奴かなぁ。それは分からないけど、いい本を集めてあるよ」
 とても愛おしげに、楽しげに、ここの使用人は、主人である老人について語る。
「あ、そうそう。ここに魔法に関する本も入るんだけどね。それは、この街に魔法使いがいるからだよ」
 軽やかに言うので、意味を把握しそびれた。何かを言う前に、ネハが続ける。
「君の妹さん、薬が得意なんだってね? 薬学は進歩する。東大陸の書や、薬の組み合わせの新情報。そういうのがたくさん、この図書館に入るようになる。じーさん、面と向かっては言わないが、ここに来たら、君達に便利なものが、きっとたくさん見つかるよ」
 だから、君達もここへおいで。
 使ってあげてくれ。
 誰も来なかった、偏屈爺さんの屋敷に、たくさんの本が置かれ、多くの人が訪(おとず)れる。
「それがじーさんの喜び。今まで、何をやったって、街の人には分かってもらえなかった。それでいいって、意固地になって。裏方で必死になって働いてたよ、じーさんは。でもやっと、見つけたんだ……育てた職人の手を使って、彼らも利用できる、自分が彼らに貢献する事もできる、そんなものを、作ることにした――夢の、図書館なんだ」
 まるで、秘密の花園のようだ。図書館という花園は、老人の思いをそっと秘め隠したまま、やがて人々に開かれ、大切にされる。
「でも、街の人は知らない。そのせいで、卿が悪く言われる。警戒されてしまってる……」
「それを気にしないんだ、あのじーさんは」
「でも、それじゃ、もったいない」
 ネハは肩をすくめるのみ。
 
 戻ってくる鳩のために、戸を開けて、鳩を中に入れる。中の掃除は朝一番に終えたから、あとは餌と水を整え、鳩達の調子や数を、確認するだけでいい。老人の姿に化けたカイツォーネは、腰が痛いなと思いながら、鳩小屋を出る。庭木の緑は目にまぶしく、鮮やかで、脳裏にくっきりと焼き付くような気がした。気持ちがいい。
 東の大陸に住んでいた頃は、とても緑が多かった。緑の密度の高いところは好きだ。
 ふと、自分がまねている姿の「本人」を見かけて、カイツォーネは元の姿に変転した。走って、建物の中に駆け込む。
「あの、卿(けい)」
「何だ」
 走ってきた少年に、老人は、神経質そうに眉をひそめた。作法について叱られる前に、カイツォーネは口を開いた。
「街の者に、図書館のこと、教えたほうがいいと思います。彼らは、出入りする人の人相に怯えて、貴方のことを疑っている」
「君は識者か何かか。街の連中は、多少不可解に思おうとも、むやみに私を襲うことはしない。彼らは賢い」
 老人は、自分が安全であることに確信を持っているのか。人々が老人を襲えないぐらい、老人のことを恐れているというのか。
(違うな……この人、「信じてる」んだ)
 子供向けの本のときと、同じだ。誠実でいいものを、与えれば、人々が喜んでくれると信じている。人々には、理解してくれる素養があるのだと、信じていた。
「……卿。貴方が、人々を信頼するのは、すばらしいことだと思います。ですが、」
 反論する言葉を、不愉快げにじろりと睨み付けて、卿は封じようとした。でもカイツォーネは負けない。この辺りに住んで開業した魔法使いにとって、この辺りで一番偉い人に嫌われるのは、商売がしづらくなって困る――でも、おもねるのは嫌いだった。
「貴方のためにも、彼らのためにも。図書館設置という意図を、明らかにしたほうがいい。きっと、いきなり知らされるより、期待して喜んで、待っててくれます」
「私の考えに、いちいち口出ししてくるな」
 ふてくされた口調で言い放ち、卿は重たそうに、少し体を左右に曲げて歩き去った。
「じーさんはさ、頑固なんだ」
 今更言われなくても分かっている。あえてわざわざ言うのは、しんと静かに取り残されていたカイツォーネを気遣ったのだろう。
「代々継いできたこの屋敷についても、自分が管理し世話しなければならないと思って、頑(かたく)なだ。自分に後継者がおらず、血縁は、遠縁に家を食いつぶしたガルツ男爵がいるくらい。じーさんが死ねば、屋敷は壊されるかもしれない。男爵が街の人に迷惑をかけるかもしれない。心配なんだろう」
 訥々(とつとつ)と話す。カイツォーネは黙ったまま、静かな廊下に、声が沈んで消えていくのを聞いていた。
「街の支配権は、もう何十年か前に自由都市化の影響で、手放してる。それでも、下手な奴にレバンソンの財が使われて、市政に悪影響が、っていうのはありうる。図書館にして、街の人々の公共施設にしてしまえば、個人に好き勝手にはされない。寄贈の条件書も、もうずいぶん前に、魔法使いや議会や裁判所にかけあって、作り終えた」
「卿は、ここ以外の場所に、行ったことがないんですか」
「……それは、意図が読めない質問だな。えぇと、多分若い頃は別領地にいたと思うよ。ここへは、奥さんがいるときに来たんじゃなかったかな」
「別の、場所を知ってるなら。行きたいところに行き、新しい人と出会えるのに」
「はい?」
「貢献しなければと思いすぎて、街の人と出会って親しむことを、しそびれてる気がする」
「人によって大事にしていることや「正しい」と思っていることが、違う。しょうがないよ」
「そんなこと言ったら、何も出来ない」
「皆が皆、君達みたいに、大陸をわたれるほど、思い切りや勇気を持てるわけじゃない」
「そんなに物を考えられるんだったら、学者にでもなればいいんだ」
 ネハの切り返しの早さに、カイツォーネは文句をたれる。すると意外に、ネハはやや渋面を作った。
「学者は無理だ。難しい本は読めない」
 ネハは表情とは裏腹に、軽く肩をすくめた。
 立ち去る背に、カイツォーネは呟いた。
「ネハって、変な人だな。本当に、使用人か?」
「あら、ネハは公子ですよ?」
 真後ろではなく、斜め30度くらいのところに立った使用人が、「本当は、「様」が必要なんですけれど。あのかたも、道楽ですから」
 言って、シーツの束を抱えたまま、カイツォーネの脇を会釈してすり抜けた。歩き去る背に、カイツォーネは、遅れて呟く。
「は?」

 ネハにまとわりつく所業。その名。シオ大公の第三公子。
 薄暗く、窓以外の光源がない室内で、ネハはかすかにため息をつく。ただ一つの窓にはカーテンがひかれ、古い時代の書が、光による劣化をどうにか免れている状態だ。どうせなら、蔵書の修理職でもやればいいかな。呟いたところで、他の使用人の声が聞こえた。
「ご主人様が呼んでますよー」
「はいはーい」
 笑みを作って、部屋を飛び出す。


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