身代わり王子と秘密の花園みがわりおうじとひみつのはなぞの 目次(最初のページ)



 鳩小屋の防御魔法は完璧だ。ツタを使って、危害を加えようとするものがあればくるくるとからめ取ってしまえるように細工した。
「俺がいなくても、このツタがあれば、十年は持ちますから」
 伝えたカイツォーネに、眠たそうなネハが礼を言った。ツタ分、謝礼金が増えたので、明日はいい肉を買えるかもしれないなと、カイツォーネは浮かれて夜道を歩いて帰る。
 歩いていたら、道の途中で、松明(たいまつ)を持った集団に出会った。
「な、」
 突き飛ばされ、もみくちゃにされ、道の端に放り出された。転んだカイツォーネは、怒るより先に、不気味に思う。あいつら、老人の名と、物騒な単語(ころしてやる)をセットにしていた。
「何だ、あれ」
 本能的に、イヤだと思った。止めなければ。
 屋敷はまだ、走っていけば近い。止めるか、または老人に伝える。危険が迫っていると。
(――早くしないと寝込みをおそわれる)
「いったい何があったんですか」
 まず、群れに飛び込んで聞く。男達は怒りの声をあげるばかりだ。それでもしつこく聞いていると、屋敷を売るとか、わがまま爺を成敗するとか、ばらばらに答えが返ってくる。
「くそっ、どうしたら、」
 途方に暮れる。二、三人なら目を覚ませられるが、数が多くて、手に負えない。鳩小屋だけではなく、屋敷中に、ツタの魔法をかければよかったのだ。カイツォーネは、この街に来て初めて、心底後悔した。
「どうしたらいいんだ、」
 焦る。血の気が引いた。
「ミレーネ、」
 ごう、と風がうなった。カイツォーネは知らず腕をあげ、ごみが入りかけた目を庇った。だが目を開く。――真っ黒い馬だった。宵闇ほど暗くはない。光沢なく、木を炭にした後の、黒鉛のような黒だった。馬は唇をつま開き、「おう」とないた。
「「夜の風」?」
 カイツォーネが問いかけると、馬はうるんだ目を細くした。
「久しぶりだな! 学校の厩舎(きゅうしゃ)につながれっぱなしじゃないんだ?」
 ――おまえ達がいた頃でも、我々は学院長の足として働いていた。風のように。
「俺達は、校庭走ってるときとかに、たまに黒い影が飛んでいくのを見かけるだけだったからなぁ、滅多に見ないもん――「夜の風」、」
 はしゃいでいたのが嘘のように、カイツォーネは静かに聞いた。
「学院長が、街に来てるのか?」
 「夜の風」もまた静かだった。こちらは口を開かない。
「ごめん、機密だよな」
 ――構うなよ、小さい者。決まりをやぶって、学院外で元学生に近づいた、私のほうがわるいのだ。
 ご、と風をまいて、「夜の風」は上昇した。足が長く、すらりとして、そして大きく重たげでもある。それが一瞬でふわりと持ち上がり、その場からかき消えてしまっていた。
 
 闇の中、居酒屋の戸口から男が飛び出す。その前に、一瞬の遅れもなく、黒い馬がこうべをたれた。
「「夜の風」、」
 クッション似の赤い帽子をかぶった男は、布を頭からすっぽりとかぶる。カーテン幽霊のようだ。右手の人差し指に金の指輪がはまっている。飾りは他に、一切ない。
「どこへ行っていた? この非常事態に!」
 
 人の集団を飛び越え、黒い馬が走ってくる。空だ、空を走る。駆ける音が聞こえるようだ。何かが馬に跨(またが)っている。男は、大木にしがみついた虫のようだ。どんぐりめいた目を瞬き、手綱もない馬を、何の指示もかけず、カイツォーネの手前、上空で止めさせた。
「うちの学生だ! 君、卒業資格は与えたが、上級試験講座、いつでもまた、受けにおいで」
「え、学院長、俺を覚えてるんですか、」
「言葉も文化も違う別の大陸から来て、まじめに勉強していたからね。君達のことは覚えているよ。妹御(いもうとご)は、元気かね」
 人混みに、細かな火の粉が降り始める。勢い余った男達が、街路樹に火をつけたのだ。おぉいかん、と呟いて、学院長は首を振った。
「魔法で制圧したいのはやまやまなのだが、使われた魔法や麻薬を特定せんと、後で証拠不十分になる。煽動した当人は酔っぱらって前後不覚、大がかりな魔法で力任せに浄化したら、元の気配も消えてしまうしな。すまんが、安全なところに逃げてくれ。あの、大きなお屋敷の付近でなら、証拠物件の気配もないから、魔法を使っても邪魔にならんからな。人々もそこを目指しているから、集まったところを水をぶっかけるみたいに、魔法で我に返らせてもいいんだが。手が足りない。私まで外回りで活動中だ。暴動すらおさめられない、愚かな学院長だと我ながら思うよ」
 早口で言い終える前に、学院長の姿が消えた。「夜の風」が残した、冷えた空気が鼻先をかすめる。それで少し、落ち着いた。
 このまま、屋敷に行こう。そこでは大きな魔法を使ってもいいのなら、ミレーネと合流すれば、何とか出来るかもしれない。学院長は、魔法使いではあるが、研究と学術書の執筆が主で、あまり魔法を使うことがない。むしろ学生であった自分のほうが、何とか出来ることも、ある(かもしれない)。
(弱気にならない)
 妹も、一人で、どこかで戦おうとしている筈だ。そういう子だから。
「かっちゃん!」
「だから、かっちゃんって言うなって」
 言いながら、振り返る。人混みをかき分けるのではなく、すり抜けて、器用にミレーネが走ってくる。人々が群れてわめき、歩いているだけで熱気がこもり、夜空に白く、蒸気があがる。夜気(やき)の清さが、今は遠い。
「かっちゃん、無事だったんだ。お屋敷に、行ったままだと思ってた」
「仕事終わったから帰ってくる途中だったんだ。訳が分からないから、帰るに帰れない」
「それはそうだよ、かっちゃんっ、」
 二人で、額をつきあわせ、目を閉じ、呼吸を整える。何があったのかを急いで話した。
「屋敷へ行こう。行って、卿を引きずり出して屋根の上からでも、図書館建設中なんだって言ってやろう。それでおさまらなきゃ……おさまらないだろうけど、だったら魔法を」
「うん。何とかしなくちゃ。皆、前が見えてないっていうか……」
「前しか見てない?」
「うん、そう。それっ」
「だから、行こう」
 二人は、黒みを帯びて見える目を、見開く。きらきらと、人々が手にしたたいまつの明かりが、瞳孔に映り込んだ。
 大丈夫。魔法のように、そう信じる。
 
 人波が止まらない。人の持つ松明(たいまつ)が、ゆらりと、下から建物を照らし出す。オレンジ色に浮かび上がる建物は、昼間のような、軽そうなウエハース感は微塵もない。堅そうで、冷ややかにこちらを見下ろしている。男達は足がすくむ。昂揚していた分、酔いがさめるとぞっとする。だからこそ、誰かが叫び出すと、再び喜んで叫びはじめる。どよめいた空気は、再び熱せられる。建物は、堅牢に見えれば見えるほど、破壊衝動をあおっていく。人の波は止まらない。怒号が押し寄せ、火が放たれそうになる。
「だめ!」甲高く叫んでも、悲痛な声は届かない。「通して!」
 腕をねじこみ、人混みを分ける。カイツォーネがミレーネの後に続き、舌打ちした。細かい呪文を練って、一人ずつ目を覚まさせるのに、魔力を使いすぎた。足がもつれる。
「ミレーネ、やっぱり駄目だ。準備しないと。でかい魔法を使ったら、今の俺達では、ぼろが出る」
「! それでも」ぎくりとしたミレーネは、けれど毅然と振り返った。
「先生達が間に合わないかもしれない。それに、幻覚を打ち破るのに必要な薬草は、今の私には、蓄えがないの。準備なんて出来ない」
「知ってる」
「かっちゃんが、「払いの鎖」を編んで、それで人に触れて幻覚を払ってくれたけれど、――全体的に、雰囲気に酔ってるから、皆を一気に目覚めさせないと、間に合わない」
「分かってる」
 心底だるそうに、カイツォーネは頷く。
「でも、大きい魔法を使う前に、出来る手を打とう」
 咳き込んで、そして輝く左手を出す。ミレーネに触れる。一息で、建物の上に移動する。
 風は冷たく、頬を冷やす。
「屋敷に入るつもりが、間違えた……」
「かっちゃん、卿は、建物の中にいるのかな、騒ぎを聞きつけて、もう外にいたりしたら、」
「大丈夫……」
 カイツォーネは耳を澄ました。ばさばさばさ、鳩達が怯(おび)えて、派手に暴れている。建物の奥にいた老人が、表に出ると言ってきかない。説得は無理だと判断したネハや使用人達が、裏口から逃げようと、算段している。
 聞こえる。老人が、ここを守ると頑健に言う。書物を入れて、安らぎや喜びや憂いや嘆きや知恵や勇気や恐れや、あらゆるものを受け入れたい。カイツォーネには、別の声も聞こえるようだ。ここを失ってしまったら、人が訪れるこの場所に暮らすという、夢が失われる。老人の、口に出されない欲望だ。些細(ささい)な、そして切実な、優しい願いだ。
 ネハは、そんなもん命があれば、また他の場所でだって出来る、と言い、老人が言い返す。新しい土地を買うところからやって、それで土地所有者だの街の人間の反感を買わないわけがあるか、地上(じあ)げして、余計に恨まれる羽目になる。第一私が住む理由が薄い――最後は途中で飲み込まれて聞こえない。
「爺さんには悪いが、俺達で説明しよう」
 カイツォーネが言いかけたとき、建物を囲む壁に、クワが振り当てられた。切り倒した街路樹を、壁に向かって集団でぶつける。さすがに地揺れし、壁がいたむ。
 殺せ、やっちまえ。唸(うな)り声が辺りに響いた。熱気のためか、互いに殴り合う者まで出る。血が、乾いた地面を濡らして、蒸れる。
「どうして!」
 ミレーネが声をあげた。人や獣が、食うためにすることには、敬虔な気持ちを持つミレーネだが、こんな形で、人が人を襲ったりするのは、嫌だった。人に対して、――むなしい思いなんて、抱きたくなかった。
「ここの爺さんは、図書館を作ろうとしてるんだ! 屋敷を売って変な組織作って治安を悪くしてるつもりなんて、ないんだ!」
 カイツォーネも叫んだけれど、人の波はとまらない。積み重なり、うねりながら、人の波は屋敷までも押しつぶそうというふうに、向かってくる。
「かっちゃん、」
「うん」
 魔法学院の人間が間に合わない。この屋敷の周りでなら、魔法を、使ってもいいと、言っていた、そのことを思い出す。
 二人は、目を合わせて頷いた。覚悟を決め、息を整えて、全身で、魔法を編み出す。
「この人達みんな、安全なところで、寝間着でぐっすり寝て、元に戻って!」
 二人が夜空に広げた、魔法の力に、ミレーネが「形」を与える。オーロラみたいな光は、ミレーネの指示によって、命令の「形」の中へと、ぞろりと流れ込んでいった。
「ちょっ、とお、えぇー」
 どうにか遅れてやってきた老人とネハの前で、忽然(こつぜん)と人々が消えた。同時に、カイツォーネとミレーネは、屋根から飛び降り、一目散に森へ逃げていく。ネハ達はぎょっとした。
「待ってよ!」
「ネハ!?」
 ネハは、呼ばわる老人を置き去りにした。


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