この地はもう、お前を愛してなどいない。
それでも私はこの地に残る。
Bleibe(ブライベ)
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   Bleibe(ブライベ)   

1『大地に』
   *
 ふるいふるいうたがある。
 るいはそれを知っていたが、さくらはもう忘れてしまった。
「さくら、さくらは世界が好き?」
 るいは笑う、眼前に広がる死体の山を見てなお笑う。
「さくら?」
 返事がないことを不思議にでも思ったのか、少女はくるりとステップを踏んで振り返る。平静を取り繕おうとして、さくらはそれができなかった。
「どうしたの?」
 ひとしずくの涙を指でぬぐってくれる手は、未だに赤く濡れていた。
「るい、なんでこんなこと」
 責める気持ちは不思議となかった。ただ、この少女はもう二度と手の届かないものになってしまったのだという恐れが、さくらに涙を流させる。
「なぜ? ふふっ、あなたがそれをいうの?」
 聖女のような顔をして、ふとよぎる凶悪な影。幼子が叱られた瞬間に憎しみを露わにするように、親の憎しみを裏返しにしたような率直な表情。
 ああ、自分は彼女をこんな目で見ているのか。
 さくらは呆然としたまま少女を抱いた。
 抱き込まれ、少女は初めと同じようにひらりとかわせなかったことに明らかに憤っていた。腕を突っ張ってさくらの身体を突き放そうとする。
「ごめん」
 さくらはその耳元にささやくと、おやすみ、とだけ言って彼女の身体を手放した。
「あっけない幕切れ」
 第二十五部隊七三機、と黒で書かれた機体が着陸する。そこから降りもせず、青年が告げる。
「終ったんだろー? 少佐、あんたの故郷のテロ」
「……たったひとりでやったテロだけどな」
 転がった身体はじきに森に飲まれるだろう。一面の焼けこげた大地も、その痛々しい傷跡をやがては埋め尽くす海となる。
 でも。
「なんで……涙が」
「んー? それは貴様がまだ人間だからだ。うん、我ながら良いことを言うな、ぶっちゃけ、極論すればそこにちっとでもひっかからないものはない――あの子は感染しただけだ、俺やおまえと違って免疫がなかった、それだけだ」
「でも」
 村の一つ、山林の数ヘクタールを焼き払うほど、暴力という名の病がある。それは常に人にある、他の物にもきっとある。
 でも、どうして優しかった少女が、幼い頃を知っている彼女が、友人も家族も生焼けた匂いを漂わせる姿へと変えてしまったのだろう。
「暴力性の欠如――それで牙を抜かれちまった人間どもが、こりゃあやばいってんで旧型の復活を狙ってなんやかんやしてるけどなぁ。まったく、これだけタガが外れちまうなんて、身体バランスが崩れてるんじゃねえか」
「大佐、」
「はよ帰れ。晩飯に遅れると、またいろいろとうるさいことになる」
 顎をしゃくると、彼はもう、止めたはずのエンジンを復旧させて離陸体勢に入ろうとする。
 さくらは慌てて帽子を拾い、そしてふと眉をひそめ、足下の少女にそれをかぶせた。
「感傷も良いけどなぁ、過度だと毒だぜ」
「今行きます!」
 手のひらに握り込んだスタンガンに似たものをポケットに押し込むと、さくらはコックピットに飛び乗る。
 るいは、ひょっとしたら、わざとさくらを待ったのかもしれない。
 討伐命令が下った頃、いくらでも逃げることが出来たのに、彼女は感染者特有の無差別殺人や破壊を他の症例より行なわず、ただ荒れ地に座ってじっとしていた。
 ――まるで裁きを待つように。
 ばかな。
 さくらはかぶりを振る。
 ありえない、正気は狂気に飲まれやすい。保つだけの人格統合はその実「考える」人間なだけあって難しいのだ。感染者、と俗に言う者たちはたいがい「我を失った」姿で発見される。
 今のさくらと、あのときの彼女と。
 いったいどちらがより救われていただろう。
 だれに?
「少佐、左舷前方」
 さくらは自問をやめ、操縦桿を握った。大佐は最小限のことしか口にはしない。それでも慣れがあって、さくらはだいたい間違わずに行動できるようになっていた。
 一機――いや、二機だ。
 形態から言って補給機である。
「おとせそうか?」
 くすりと笑って、しかし大佐は自ら古いライフルを構える。
「無理ですよいくら何でも」
 備え付けの武器の補給状況をリストアップし、さくらは大佐の行動に納得する。
「大佐、あなた、前線からもどる途中に寄りましたね」
「何のことかな」
 楽しそうに見えるのは気のせいではない。
 射撃の腕は一級だ、し損じることなど滅多にはない。
 もちろん、飛距離の問題があるが。
「そーれで拾いに来たんですね、補給機の経路が近いから撃ち落としとこうって魂胆ですか、へぇ」
「きみの操縦技量を買ってのことだよ」
 呼称からしてわざとらしい。 さくらは大袈裟なほどのため息をつき、そして一気に集中する。
「寄せますんで一発で終らせてください」
「あん? 二機なのに一発か? もっと撃たせろ、何のためのライフルだ」
 軽口を叩きながら、大佐はもうコックピットから上半身を出している。黒髪がなびき、最後の陽光が横顔を照らし出す。たぶん高度の関係もあって、あれでは息もできないはずだ。素潜りの練習ですか、という冗談を思いついたが、軽口を叩いている余裕はない。
 向こうが気づいた。
 補給機を護衛している最新鋭の機体が攻撃を仕掛けてくる。
 なんでこんな安物にのってるんですか大佐。
 泣きたいかも、と内心で呟きながら、さくらはひょいとかわして真後ろにつく。
「バカ! 横に行け!」
 中に顔を戻し、大佐が怒鳴る。
「鼻水出てますよ、大佐」
 日々、女性の隊員に人気のクールな顔が。
 おかしくなって、ついつっこむ。
「うるさい!」
 頭を踏まれた。
 それでも操縦は誤らない。たたき込まれた技術がそうさせる。
「次で終わりです」
 当たり前だ、という顔をして、大佐が自分のポジションに戻った。
 ぐぅん、とGがかかる。
 腹に力を入れる。
 このときは、何も考えなくてすむからすきだ。
 ただ飛ぶことに気合いを入れていられるからすきだ。
 迷わなくて良い。
 ここには決断と技量しかない。
 いや。
 運もだ。
「でかした、えらいぞ、すごいぞ、さすがだぞ、俺」
 大佐のセリフに一瞬期待しすぐ裏切られ、さくらはふう、と息を吐き、肩の力をゆっくりと抜く。下降していく機体が一機、どぉん、と鈍く身体に響く音をたててもう一機の横腹にのめり込む。とおくにコバルトブルーの海が光った。
「帰るか、任務完了。どうでもいいけど予定外の収穫分も終了」
 大佐がようようと言い、さくらと目を合わせ、気づいたように袖口で鼻をふいた。可笑しくなってさくらは吹き出す。
「なんだ笑うな」
「いっ、いえ、あの、ぶふっ」
「揺らすな、笑われるのはイヤだが墜落もごめんだ」
 はい。
 操縦桿を直し、機体を水平に戻す。
「そうだ、大佐。なんでこんな、飛んでるのも奇跡みたいな旧時代の遺物に乗ってるんです?」
「あぁ」
 大佐は頷く。
「新型が入ったんだが、新入りもその分増えてな、俺のほうがまぁ技量もあるんで旧型で出たわけだ」
「旧って……たっぷり三世代は前の機ですよ、コレ。しかも俺よりヘタじゃないですか、大佐」
 がん、と脳天に拳を置いて、大佐は見事なまでの笑みを見せた。
「帰ろうか?」
 異論はない。
 ひきつった顔で頷くと、さくらは計器を確認し、帰路についた。

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