この地はもう、お前を愛してなどいない。
それでも私はこの地に残る。
Bleibe(ブライベ)
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   Bleibe(ブライベ)   

   *
「ノリが大佐そっくりだ」
 一宇は後頭部の辺りへと通り抜けていく言葉の端々を拾った。そうして、わずかの後に確信する。
 唐突さも、口調のどこか投げやりな点も、そして一宇を手のひらでもてあそぶような言動も、彼女はとても、ヤツに似ていた。
 そして、的に当てる能力も。
「旋回しすぎて目が回るッス」
 淡々と機体を操りながら、憂乃は地上へと武器を投下する。
 敬礼し、下方の軍人が物資を受けて前線に戻った。
 即座にそこに空爆が開始され、舌打ちとともに憂乃がレバーを大きく引いた。
「真後ろについてくるとは性格が悪いし頭も悪いな!」
 憂乃の毒づきと共に視界が数転し、一宇は舌を噛みそうになる。血の気がどちらに引いたかで現在の重力方向が分かった。
 窓の外に敵機が見える。けれどそれもすぐにかき消えた。撃ち落とされたものかそれとも雲に隠れたのか、すでにどうでも良いとさえ思えてきた。
「あぁ、三半規管が……」
「無駄口を叩くな――来るぞ!」
 ぼやけば即座に叩き落とすように返される。
 こちらが操っているのは一応は“たかが”輸送機一つなのだが、基地を出てものの五分でマークを受けて威嚇をされた。それをかわしつつしばらく平行線を辿り、前線基地の連中が指定した位置に辿り着く前、数度に渡り攻撃を受けた。憂乃が殆どすべての敵機を落とし、現在、残りの戦闘機に狙われるに至る。これでは愚痴の一つも言いたくなるというものだ。
 補給機を送れば護衛の機とあわせて攻撃されたさいに身動きが取りづらく、一気に二機以上を失うことになる。だから民間機にカムフラージュした戦闘機能搭載の先鋭機一機で、偶然を装って一気に近づき、ついでに手を貸すのが今回の任務であったらしい。無論、使い古された戦法だけに、向こうはそうは簡単に通してなどくれない。
 再び回転が止まり、一宇は胸をなで下ろす。しかしよくよく考えてみると、髪の毛も血液も、自身の頭の上へと向かっていた。
「逆さまだし! 黙れって言うほうが無理ですよーむーちゃーなー、ああれえー」
 口では余裕ぶったいい方をしているが顔色は随分青ざめてきている。舌を噛まないようにポケットにあった手袋を噛み、一宇は半回転する機体の動きを利用して、素早く座席の下に頭をつっこんだ。
「お前……! そんなところに、荷物を」
「よそ見厳禁ですよ、浮田大尉! いくらシューティングスターのひとりでも、一気に十機はむずかしい……ああっ字余り!」
「あほか!」
 見事なつっこみを頭にくらい、一宇はせっかく出した頭を再び床にたたきつけられた。蹴った足はもう、彼女の身長では広すぎる機内空間で最大限に構えられるようにいっぱいに突っ張られている。
「自動掃射、あと三分です」
「分かってる……!」
 予測では、この地点の攻撃は終っているハズだった。
 第三十五部隊はいくつかの隊に別れてゲリラ的に地上戦を展開している。第七分隊の指揮者が『浮田』であり、女だという話は聞いていた。
 実際に作戦展開を目の当たりにし、一宇ははっきりと確信する。
 この、一宇の胸ほどしかない身長の少女が、『浮田』大尉なのだ。
 あんな小さな的によく当てられる、と思いつつ、一宇は席を外れて後ろに行くと、大きく振りかぶった。ただでさえ積載量の少ない、やや速度重視の機内であるため、狭くてがん、と腕が天井に当たった。
「……ッ!!」
 思わず腕を引き寄せかけ、しかし思い切って、手動で開けた投下口から投げつける。息を止めたが、風が思いの外はげしく機内を荒らした。目を開けていられない、とっさに胸元に下げたままだったゴーグルを引き上げる。その動作で一宇は体のバランスを崩した。
 備品は皆固定してあるが、一宇だけが長めにとっておいた補助ベルトに引きずられて左右に振られる。
 声は出ない。
 しかし「うーわーもういやだー!」と、一宇は声を限りに叫んだつもりだ。
「行くぞ!」
 不意に女が警告した。
 旋回した機体は、オートで動いている。
 自動掃射できるだけの弾がきれランプが点滅したが、憂乃は一瞥もくれずに無言で蹴って黙らせた。
 さきほど一宇が投げた閃光弾が炸裂した光がかすかに機内にも届き、この機の下に入り込んだ敵機が翼を傾がせるのが見えた。
「落ちるなよ……!」
 すでに投下口のそばで四つんばいになって頑張っていた一宇には、頷くゆとりも存在しない。少女はそのまま集中し、なぜかフルオートではなく一発ごとに撃った。
 ライフルだ。
「大佐と同じだ」
 呟いた瞬間、力がゆるんだのか一宇はずるりと投下口に滑り込んだ。
 悲鳴もあげず、とっさに手近な据え付けの箱を掴んだ。中身の弾薬が震動で揺らいだ。
「う、わ」
 箱は一瞬きしみながらも持ちこたえた。しかし安心しきる間もなく、無情にもばこりと不吉な音を立てる。
 中身の小型の銃と、閃光弾、そしていくらかの手榴弾がこぼれ落ちた。床に跳ねた数個が、憂乃の足下まで転がってから投下口へ戻ってくる。
 ああっ、もったいない!!
 一宇は思ったが、考えるまでもなく箱を掴んだ手が落ちることの方が大事だった。
 箱から手を離し、両手でどうにか床に張り付く。
 外れた箱がゴミのように小さく遠ざかりすぐに見えなくなった。
 いつの間にか高度が上がり、地表にからは随分高い高度の下方で戦闘機にぶち当たって箱が砕け火炎があがっても、そこからこぼれ落ちたであろう人の姿が確認できない。
 箱と運命を共にしなくてよかった、と薄れそうな意識の端で安堵した。もしもあのまま箱を掴んでいたとすれば、一宇はパラシュートがあったところで命はない。
 それでも呼吸を許さない風が、ときおり一宇の意識を奪った。朦朧としてきて、何故か塩としょうゆの分量の調整について頭の中で計算していた。
(あぁっどう考えてもトンカツにはソースなのか!?)
 馬鹿馬鹿しくて自分でもイヤになる。踏ん張りすぎて腹筋や背筋が軋んだ。しかし力を緩めるわけにはいかない。ここのシューティングスターの足手まといになるわけにはいかないのだ。
 動作基盤は今彼女の足下にある。気を散らせて機体を下手に動かし間違いされ、一宇個人どころか機体全体を撃ち落とされるのはごめんだった。
 多少風がゆるみ、一宇は周囲を見た。
 機影はあと一機になっていた。
 あと少しだ――どことなく安堵しつつ、今度は力を抜かないようにした。
 一宇はそして、機内に転がったものに気がつく。
 機体が傾くたびに、ごろりごろりとそれは床を転がった。一宇の気づかぬ傾斜が分かり、今どこが地面かよく分かる。
 一宇は、薄い空気を胸一杯に吸い込んだ。
 手榴弾の一つが、機内を転がり回ったあげく、目の前の、自分のベルトの金具にとまった。
 それはおもむろに、ごろ、と転がろうとして、突然、動きを止めた。
「ひいぃ!」
 衝撃で爆発するよりも恐ろしい状態になっていて、一宇は思わず目を逸らした。安全装置であるピンの部分が引っかかって辛うじて動きをとめている。
(あぁっでもまだピンが抜けてないから取り外せるかも)
 平衡を取り戻した床を見て意を決し手を伸ばそうとしたとき、機体が衝撃で激しく揺れた。
「かすったか!」
 ライフルを構えていた憂乃が舌打ちと共に、攻撃を受けたがまだとべる機体を手動に切り替える。
 一宇は「はやく助けてくれ」と叫べないまま、小さく呻いた。出来れば気付いてどうにかしてほしいのだが、迂闊に声をかけると墜落しかねない状態は依然続いている。
 ふと、憂乃から床へと視線を落とした一宇は、ある事実に気が付いた。
 機体の傾きを直すべく旋回したときの動きで、床が傾き、先程までの衝撃で緩んでいたピンが抜けた。
(あぁああああぁあ兵器製造者のバカああ! ピンくらいきっちりはめておけー!)
 身の毛がよだった。
 すでに血の気が引き尽くした身体が、まだ冷えることができるのだと初めて知った。
「ひー、ひーひー」
 さぞかし間抜けなことだろう、しかし一宇は真剣だった。絞め殺される鶏と同じ声で叫びをあげると、にわかに右手をさしのべた。体重が左腕だけにかかり、下半身は外に出た。両足を曲げ、必死で外に取っ掛かりを探すが、もとからそのようには作られていないので足がかりはどこにもなかった。
 もはや声もなく、一宇は汗で滑りそうな左手に必死に祈りながら動く。
 右手が目指す物に届く。
 表情を明るくした瞬間、足下を一機、通過した。
 このときの感情を適切に表すとすれば、
 ひょーえー。
 しかない、と一宇は妙に冷静な頭で思った。

 下方で小さな太陽が生まれたように見えた。
 一宇は声もなく、衝撃で舌をかまないようにするので精一杯だった。全身が耳になったように、爆音と振動が意識をしめる。
 次に、
「近すぎた」
 小さな呟きを漏らし、憂乃がレバーを引くのが見えた。
 自分も憂乃も生きているらしい。
 あれ、と声を出そうとして、それがかなわないことを知る。
 下をきる風、耳鳴りは遠く彼方に、ただ鼓動さえ聞こえないはやさで意識が遠のく。血の気の引いた頭は冷え、上っ面だけの平静さで手を伸ばした。殴られた。
「す、すいません」
 しゃがれ声が出て、一宇は初めて自覚した。
 爆風であおられ、幸いにか一宇は機内に押し上げられ、今や憂乃の膝の上に顎だけ乗った体勢で居た。
 叫び出したい正か負かの衝動は過ぎ去っていた。
 ただ、
 ――ここにいてはいけない。
 それだけが胸のどこかに冷たく沈んでいた。
「どいてくれ」
 冷徹なまでに感情を排した声が耳を打つ。
「す、すみませ……ッ」
 慌ててどこうとしたのだが、動作がのろく、有無を言わせず一宇の頭に何かが載せられた。
「うわ? あの?」
 冷たくしびれた手足は、先のほうほどより重かった。血が通っていることさえ感じられない。意識はあるのに、身体がまるでいうことをきかない。まるで目が覚めたばかりの死人のようだ。

 憂乃は彼の頭に肘を固定し、彼の予測通り引き金を引いた。
 一宇は耳も塞げぬまま悲鳴をあげた。
「人の頭で肘支えて銃うたんでください!!」
「まだ騒げるな、それなら大丈夫だ。麻痺しきったら先が短い」
 頭が衝撃でぐらぐらする一宇には、「人生の」先なのか「軍隊生活の」先なのか見当がつけられなかった。
「さっきお前が下へ転がした手榴弾がみごと敵の排気ダストにヒットした。よくやった」
 偶然だったのだが、先程の手づかみにした手榴弾は役に立ったらしい。自機撃墜にならなくてよかったと思っていると、
「しかし――いや、だからこそ、すまない」
 憂乃が、相変わらずの表情でこう告げた。
「あおられた衝撃で、本機の制御が不能である」
 間をおいて、一宇は意味を飲み込むと、
「んなことサラッといわんでくださいよ!」
 見る間に近づく大地を睨んだ。

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