8『チルドレン・アームズ』
*
「ったく!」
どん、とテーブルに果物の詰まった籠を置き、浮田=ランゼルは吐き捨てた。
「九条なんかのどこがいいんだっ」
むくれているのは、彼の娘の発言に原因がある。
「まーまー、あれでも九条さんてば顔が良いから」
「そうそう」
前線基地の一角、第二十五部隊の隊員が共用で使う空き部屋で、暇な隊員があくび混じりに相づちを打つ。
この大佐は毎回、家族の待つ家に帰るたびに同じ台詞を言われて凹んで戻ってくるのだ。
「でもあの人ならし損じることはないから」
「あー、はじめっから遊びだと分かり切ってますもんねー」
「フラグが立ってるよなぁ、真面目な顔して見せても、結局は」
「タダの飛行機バカで女好き」
最後のセリフは、多くの者が唱和した形になった。
大佐はよりいっそう渋面になる。
それはそうだろう、世の中にはさまざまな親が居るが、彼は幸か不幸か、我が子が可愛くて仕方がないタイプの父親だった。
男親にとって、ましてや、娘となると。
「エリカちゃんの趣味も大概……はぁあ、九条先輩が良いモンなんですかねぇ」
ぼんやり、といったふうに呟くと、一宇は果物籠から取り出したリンゴを剥きはじめた。正規の軍服ではなくすぐさま出撃できるようにジャケットを引っかけた格好の時、軍人はいつも必要最低限の用具を持って行動する。一宇の道具には、どうも果物ナイフが含まれているようだった。
まさかそれ、前に誰か殺ッたナイフじゃないだろうなあ。
隊員たちがうろんげな目で一宇を見やる中、大佐が、キッ、としかいえない動作で一宇を睨んだ。
「なんだと、も、もう一回言ってみろっ」
少なからず動揺が見られる。
しゃくしゃく、とのんきに、ナイフに突きさしたリンゴを頬張っていた一宇は、茶飯事めいてきた大佐の行動に、やはりのんびりと頷いた。
「ああ、そっか」
「なんだよ」
訳知り顔で頷いた年若い男に、大佐はちょっと泣きそうになりながら声を投げた。
もしハンカチが手元にあればもみしだいてかみしめたりしていたかもしれない表情である。
いやーどーかなー、と奇妙な抑揚をつけ、一宇はフッ、と目をそらした。
大佐はいつも思う、他の隊員は否定するが、佐倉少佐と一宇は似ている。叔父と甥と言うだけでなく、二人とも、しらっとした顔でこちらをせせら笑うのだ。
ふーんだ。
すっかり、被害妄想の病に陥っている。
椅子に座り、テーブルに顎をのせ、大佐は一宇ににやりと笑った。
「おうおう、言ってみろよう、ご教授いただこうじゃねえか」
不穏な空気を知ってかしらずか、誰かがのんきにバナナを食っている。皮を放ると、それは壁際のゴミ箱に入りかけたが、口の部分で変にはじけ、戸口に落ちた。
べこん、という奇怪な音を挟み、一宇は一瞬気をそがれ、すぐに大佐のちょっとおかしい目つきによって我に返った(返らされた)。
「女の子って、父親に似た男ばっかり選んじゃうんだって、心理学の講義で習いましたよ」
一息で、言う。
静まりかえった部屋の戸を開け、踏み込んだ者が激しい音を立てて転んだ。
「いったー! なんなんですかあ」
内田情報局局員は腰をさすりながら起きあがる。そして、思わず手からすり抜けたというか吹っ飛ばした小型のモバイルが、内田を転ばせた犯人(=皮)をうまく処理できなかった当人(=人間)の頭にヒットしてから床に落ちているのを見た。
「ああ!」
彼は駆け寄った。モバイルに。
「ど、どどど、どうしようっ」
小型とは言え精密機械を守るために外装は頑丈にできている。ちょっとひびが入っていたが、起動画面にチョウチョが飛んだが、任務に支障はないらしい。内田は胸をなで下ろした。
年に一回の更新以外は、前線基地の隊員に支給される物資は限定される。つまり、今壊したら自腹でそろえなければならないのだ。
始末書より大目玉より、高価な端末の費用が気になる採用浅き若人だった。
モバイルが当たった者は、伸びていて仲間の声にも反応がない。
軍医か? 基地内のただの(?)事故なら軍医か?
ざわざわ。
ひそひそと話し出した隊員たちの中、ひときわ大きな声が響いた。
「そんな、ばかな」
大佐はこれ以上はないというほど息を吸い込み、そしてむせた。
よほどショックだったらしい。
何事かと内田が手近な隊員に聞いて、なるほどと頷いた。
「でもそれは血液型で性格分けするのと、あんまりかわらないような気がするんですけどねえ」
もはや内田のフォロー(?)も耳に入っていない。大佐は頭を抱えている。
「なぁ、俺って、あんなか?」
絶望の濃い声を絞り出し、大佐が問う。
沈黙に色があったら、今ここはどんな色だろう。
あはは、俺って結構詩人?
一宇は地雷原の中でたたずんでいた。
そろそろ、救いの手がほしいところである。
「今、大佐、女性隊員からけっこー人気ですけど」
誰かが、おそるおそる、言った。
「……いっぺん遊ばれたら泥沼っぽいから、あこがれだけにとどめとくわ、って、みんな」
沈黙。
窓のない部屋は、重苦しい空気に包まれた。
「おーいっ、みんなっ、手伝って!」
唐突に扉を開いた第十二部隊の緑の腕章をつけた男が、うわ、とのけぞった。
「なに? まずかった?」
短く刈り上げた頭をかき、彼は手近な隊員をつかまえた。
事情を聞き、丸い眼鏡をずりあげながら青年は言う。
「なーんだ、そんなこと」
しかし、大佐に睨まれて声を失う。
「何の用があって来た」
今にも噛みつかんばかりの勢いを無理矢理おさえ、大佐はうめいた。
「……あのう、ですね、手のあいているものを集めるように、その、アルフォンス大佐が」
「お前十二だろ、なんであいつのラウドスピーカーを」
もはや、何にでもケンカを売る気らしい。
腕章は非戦闘員、と呟き、一宇は席を立つ。
「多分アレじゃないですか? おじさんと九条先輩がひったてられて森にいったんなら」
「いちうー、プライベートなとき以外は、しょ、う、さ、と呼んでやれ、混乱する」
まだ完全には立ち直っていないが、大佐は気を取り直したようだ。
「まぁいいや、お前らが動いてるなら、あれだろ、基地内整備だろ」
「いえ」
腕章の男は、気弱げに微笑んだ。
「それが」
爆音が響く中、大佐はぼんやりと砂の中に立ちつくしていた。
部下も同様の心境であるらしい、もはや声もない。
一人、一宇は予測がついていたらしく、やっぱりなぁ、としたり顔で頷いた。
彼らの眼前には、おおきなおおきなもみの木が立っていた。
「こんなモン引き抜いてきてどーするんだ……」
さすがに頭が痛い。浮田大佐の肩を叩き、命令を下した男が笑った。
この世の幸いをかき集めたような笑みだった。
「だって、クリスマスじゃん」
彼のセリフは、語尾にハートマークでもついているかのような浮き方だった。
浮田大佐は対照的に、彼にすべての幸福を持って行かれたような恨めしげな顔をしている。
「てーめえ、うちに宗教対立を持ち込む気か」
「のん、のん」
指をふり、アルフォンス・ネオは微笑んだ。
「イベント」
彼には、崇高な宗教精神のかけらも持ち合わせる隙間がないらしい。彼の頭は、権力のことでいっぱいなのだろう、多分。
クリスマスツリーは、そのままではクリスマスツリーたりえない。
アルフォンス・ネオは高らかに宣言した。
「これより、手があいているものは全員、慰安のための会準備にあたってもらう」
つまり、早い話が、暇ならツリーを作れ、ということである。
空を飛んできて機嫌のいい佐倉少佐の横面をひっぱたきたくなりながら、浮田大佐はツリーの移動に協力させられる。
ジープ、クレーン、いろいろなものを配備し、軍事演習さながらの人員を投入して、まったりとツリー作戦は展開されたのだった。
どうにか、三メートルほどに切り分けられたツリーたちを室内に運び込み、男連中はなんやかんやと言いながらもおとなしく飾り付けにいそしんでいる。
といっても、ときどき豚のぬいぐるみをてっぺんに乗せてみたり、いたずらも多い。
アレが電飾に彩られると思うと、綺麗だと思うより先に笑いがこみ上げてくる。
運び込むまでの指揮をとった浮田は、宴会なども行なわれる広い部屋の最後部で悩み相談をしていた。
「ほんとに、なんであんな男がいいんだか」
まだ言っている。
つくづく分からない、と言った顔で、浮田はモールに巻き付かれて金色に飾られた九条を眺めた。
さして悪い人物でもないのだが(むしろ、技術と言い面白いキャラクター性といい、好印象だ)、女癖を思うとやりきれない。
それがよその娘さんならばまだしも自分の娘がとなると、話は別である。
隣で、マクレガーは笑みを浮かべる。
「まだとおじゃないですかあ、子どもの言うことなんて、あてになりませんよ」
苦笑した男に、大佐はやれやれと肩をすくめる。
「あいつも昔は可愛かったんだ、パパのお嫁さんになるってな〜ああ、念書でもとってりゃよかった」
「あはは、どこのうちも似たようなモンですな、うちも言われましたが、今じゃ洗濯物も別にしないとしばかれます」
大佐はジャケットのポケットに手を突っ込み、呟いた。
「さみしーなあ」
しみじみとしたセリフに、周囲の喧噪が大きくかぶる。
「扶養義務が終わる前に、でてっちゃうもんなんですよね、子どもってのは」
異星人を預かって、なんとか人間に仕立て上げて、置きざられて、んで向こうは向こうでまたおんなじことするか、しないんですよねえ。
マクレガーは淡く笑った。戦場に赴く者たちもまた、戦場とは違う顔を持つ。これだけの空気の差があるからこそ、自分たちはまだ、生きていられるのかもしれなかった。
少なくとも、死ぬ気にはなれない。
「あーあ。さいごはやっぱマリアンか」
「奥さんですか?」
大佐は答える代わりに頷く。
彼女はつっけんどんな物言いをするが、芯は苛烈な女だと知っている。彼が結婚を申し込んだ、というよりねだったときも、彼女はバカにしたような顔をしていたものだ。青臭い誓いをかけてみせて、その末に申し込んだのだが、どうにも、格好が付かなかったなと自嘲する。
だが彼女は浮田=ランゼルという男を、多分愛しているのだろう。
「スキでもなきゃ、いわねえだろ」
エリカがもっと小さい頃、女の子がよく言うように、彼女は父親に言ったのだ。
大きくなったら云々と。
親子の蜜月に近い。そのうちオヤジはむさいと煙たがられたりする。
さておき、そのとき、丁度後ろを通りかかったマリアンが、そっと伴侶の背に寄り添い、その耳元に言ったのだ。
「そうねえ、でもパパはママと結婚してるんだから、まずはママを倒してからね」
と。
大佐は今でも覚えている。言った当人は忘れているようだが、彼女は赤く口紅をひいた唇を真横に引いて、そしてつり上げたのだ。殺気に近いものを感じた。地上戦にも出ている軍人が言うのだ、かなりのものである。
「目の前になんで姿見があったんだろうなあと、今でも俺は不思議でしょうがないよ」
笑いかけた顔で、マクレガーは視線を泳がせる。
確か年上の女を、それも容易には落とせない女を妻にしていると聞いていたが、むしろ、この大佐のほうが捕まったのかもしれない。
あまりその話題に触れまいとでも思ったのか、マクレガーは浮田の肩を叩き、室内で助けを求めている男を指さした。
「ご指名だ」
「あぁ、しっかし野郎ばっかだな、つまらんな……なんであいつに部下を好きに連れて行けなんて言っちまったんだか」
第二十五部隊中佐は、現在後方の基地に近い砂漠に部隊を展開している。中佐が出ていくときに、浮田は適当に見繕って連れて行くように言ったのだ。
そうしたら、中佐は隊のほとんどの女性隊員を連れて行ってしまった。
「あの女、単に同性のほうが気安かったのか、残して手を出されて後でもめられるのがイヤなのか」
ぼそりと言った浮田に、マクレガーは軽い声を立てる。
「ああ、笑って悪かったです……でも有能なのばっかりでしょう、男も女も、あのひとが連れてったのは」
「だから余計にむかつくんだよ」
口調はそっけないが、顔はいかにも、しょうがないなぁという笑みを浮かべている。
それは不在の中佐へのものなのか、それともクリスマスツリーの飾りに埋もれている軍人に向けられたものなのか、マクレガーには分からなかった。
「アーリー」
浮田は疲労の濃い声を出した。
どうでもいいからさっさと休ませろ。
見たものを殺しかねない目つきである。
一方、軍服をまとう目の前の男は、物ともせずに微笑むと、表情をあらためてから右手のスイッチを厳かに押した。
アルフォンス・ネオ。
階級、大佐。
現在、目の前のツリーにご満悦の様子である。
ネオンサイン顔負けの電飾がきらめき、もう飽きた、とありありと顔に書いた連中も心なしかなごんでいる。
軍人たちがひいてこようとしたがびくともせず、全員で切り分けて三時間を費やした(元)巨大なもみの木だ。
頑張ったなぁ。
全員、自分たちの労苦に視界が滲む。
たぶん、二、三日もしないうちに撤去を命じられようとも。
「じゃっじゃーん!」
いつのまにか姿の見えなかった一宇が、うきうきとカートを押してきた。
結婚式かと思うほどの、背高い白のケーキが揺れる。
「……なんだ、それ」
もはやつっこむ気力もなく、大佐は茫洋と口走る。
「あぁ、いつかウチもあんなのを見る羽目になるんだろうな、ああああああああ」
頭を抱え込んだ男に、アルフォンスが祝杯をかけた。
シャンパンの洗礼を受け、浮田は切れた。
疲れがたまってはいたがテンションがあがった作業手伝い人たちが便乗し、まるでビールかけのような惨状が繰り広げられた。
「なっ、なんなんすか!?」
一宇は大慌てで、ケーキに突入しかけた男を突き飛ばした。
シンクタンク生で作った、イベント用のケーキである。
数名が殺気だってケーキを守りにあたっている。
忙しい中、必死でつくったのだ。
子どもは、とても純真だった。
「せっかく作ったのに!」
崩れていく景色を睨んで、学生は思う。
だからオトナって嫌い。
暴動さながらのクリスマスになった。
宗教性のかけらもないどころか、平和を無視した戦闘になった。
「あー、平和だなぁ」
顔につくった青あざは、もう治りかけている。
大佐はタバコを吹かしながら、ぼんやりと空を眺めている。
砂漠は風が強いが、アルフォンスが偶然にかこつけて殴りかかってきた返礼をすべく考えるには丁度良い。
「平和だー」
子どもたちがその後ろで、ひそひそと話しながら廊下を行く。
「あんなんだから戦争なくなんないんですよね」
「そうそう。やっぱあたしたちで変えなきゃ」
基地の施設内から、一宇は変な笑みを投げる。
「そうですね。結局、俺たちでどうにかしなくっちゃ」
場合によっては、夢見ていそうな子どもの方が、しっかりしているのだ。
たぶん。