この地はもう、お前を愛してなどいない。
それでも私はこの地に残る。
Bleibe(ブライベ)
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   Bleibe(ブライベ)   

11『お見舞い(別名・軍医の暗躍)』
   *
「きゃーッ」
 両腕を胸元に引き寄せて叫ぶ。足もついあげてしまったがご愛敬だ。
「大佐、やめてください」
 ばしッ、となぜか手にしたスリッパ(医務室用)でゴキブリをたたきつぶした佐倉が呟く。
「怖くもない癖に。地上戦でいやってほど見慣れてるでしょう」
「なっ、なんてこというの! さくらっこのおかあさまにむかってっ」
「……誰ですか、この人にコレ見せたのは」
 佐倉が背中越しに親指を立てて大佐を示す。
 サイドテーブルにはおどろおどろしい血文字で、『るびぃの誘惑』と書かれた怪しげな書物が上中下巻と揃っていた。ベッドに横たわって動かない(動けない)九条が、どうにか意思表示を試みる。
「……大丈夫ですか、九条さん」
 む〜、とうなっている九条の枕元、スチールに載った皿に、元コック見習いによってきれいに剥かれたリンゴが並ぶ。
「はい、どうぞ」
「むー、むもおおおお」
「一宇、それどう考えても無理あるぞ」
 リンゴを差し出した一宇に、大佐が平静に言う。
「口がない」
 ゴキブリをゴミ箱に片づけた佐倉が、
「あります、ついてます。いくらマッド佐藤もそこまでできません」
 と、新聞を畳みながら戻ってきた。
 いただきます、と佐倉につままれたリンゴの一切れが、彼の口より先に大佐の胃袋に収まった。
「ま、まだありますから」
 なぜかにらみ合った大佐と少佐に、一宇は慌てて声をかける。
「むー……ふっ」
 九条は、どこか遠くを見るような目をして力を抜いた。
 だって、リンゴ食えないし。
 マッド佐藤め、と九条が呟けない口で呟いたとき、がらり、と昔の銭湯の引き戸を開けるような音がした。
「でたー!」
「なにやってんっですか、二十五大佐」
 叫んで前方へスライディングした大佐の頭上を通り、次のゴキブリ襲来に備えてかたく畳まれた新聞が飛来した。
「いてっ」
「一宇う、それっぐらいよけなされ」
「いったいなぁもう……大佐、ヘンな本よみすぎですよ、なんつーかもう、これ以上おじさん刺激しないでくださいよお」
 後頭部をさすった一宇は、ぱし、と腕をつかまれた。
「あ、あの?」
 きょとんとし、先程入口から入ってきた白衣が自分の前にいることに気がつく。
「何か?」
「ケガの手当を」
 語尾に、愛情のあふれてやまない響きがあった。
 なぜか背筋がぞくりとした。
 今までにない、今すぐごめんなさいとさけびながら窓の外へダイブしたくなるような悪寒だった。
「いりません」
「まぁそういわず」
 佐藤は鼻眼鏡をずりあげ、にたり、とアリスの猫のように笑った。
 細まった目が、獲物を狙う子猫のようだ。
「みるなら是非とも先に大佐を!」
「おお?」
 急に矛先を向けられ、大佐は明らかに狼狽した。
 先だってスライディングしたときにつけた擦り傷を隠し、大佐は、
「なめとけばなおる!」
 と、どう考えても手当がイヤなだけにしか見えないことを口にした。
「いいえぇ、大佐、医務班にしか身を任せないのもいけませんよお」
 マッド佐藤は、どこからともなく黄色い液体の入った注射器を取り出した。針は手早くつけられている。
 その手際の良さに、一宇は怯えて壁際に寄った。
「浅い傷のほうが雑菌が怖いんですよ」
「知っているが、ここは軍内部だ、消毒ぐらい自分でできるし感染も心配ない」
 大佐は口調こそ普段通りだが、身体は正直に引いていた。
 臨戦態勢に入っている。
 いつでも組み手をくめる構えだ。むしろ組みたくないのだが(組む=接近=何をされるか分からない)、大佐は真剣に佐藤を睨んだ。
「一宇の怪我はどうなった、アレは頭だぞ」
「ああっ大佐! 俺を売るんですか!?」
 ちなみに、佐倉は机越しにやりとりを見ている。傍観より離脱したいというのが本音だった。
 すまん一宇。
 だから軍に入っちゃいけないって言ったじゃないか。
 佐倉は、この先の一宇の将来を思って、ちょっと暗くなっていた。

 佐藤は大佐と一宇を交互に見て、
「若造はいつでもチャンスがありますが、大佐は決して来ないでしょう、今しかないです」
 どう考えても、治療以外のことを狙っている言葉を吐いた。

 医務室の怪奇。
 軍医の手にかかったものは、多少の『バージョンアップ』をして帰って来るという。
 あの噂は本当だったのか! と一宇はこちらを振り返るマッド佐藤の顔から目をそらした。とたん、
「どっちもおんなじか」
 と、憑き物が落ちたように佐藤が言った。
 大佐が、いかん、と短く呟く。
「一宇! 四次元ポケットを腹にぬいつけられたくなくば逃げろ!」
「えっ」
 四次元ポケットならほしいかもなあ、と思ってしまった一宇は、目の前で光った針に悲鳴もなくしゃがみ込んだ。
 注射器は壁際をぶうんとかすっていき、一宇は這って九条のベッド下に入る。
「なっ、なんなんですかあ」
「二兎を追うもの……二兎を得て三兎めゲットお」
 勢いづいた注射針が佐倉を狙い、佐倉は机ごとマッドを飛び越えて距離を取る。
 かっけー、などと一宇は眺めている場合ではない。ベッド下から反対側に出る。九条の目がこちらを見た。すこし潤んでいた。顔もみえないほどぐるぐる巻きになった九条に同情しつつ、一宇はマッドの攻撃を避ける。一人でも、生き残る!

 ちょっとした予行演習のようだった。
 そして、
「ふっ、まだまだだな、青二才」
 一宇はあっさりと、佐藤の膝を喰らっていた。
「一宇っ」
 大佐が叫ぶ。
「成仏しろよっ」
「大佐!」
 佐倉が怒鳴った。
「やめてください! まだ生き残らないとか人間じゃなくなるとか決まったわけじゃあないんですからッ」
 二人の愛に、一宇はこんちくしょうと微笑んだ。
 佐藤は嬉々として、抱え込んだ一宇に言う。
「大丈夫だ、痛くはない、なに、ちょっとちくっとするだけで」
 そのちくっが痛いンやないけ。
 一宇が不条理に怯えていた、

 その時。
 (悲鳴をあげないように)包帯で巻かれた九条が、ベッドからアタックした。まるで芋虫のようだが、佐藤の腰にぶちあたった。
 一宇は、救いの手に歓喜した。
 二人は内心で叫びをあげていた。
(先輩ッ、俺正直言って先輩のことすっげーたらしでひもっぽくてシューティングスターなとこ以外ろくでなしだと思ってましたけどッ! 俺この恩は忘れないです!)
(こんなとこにいてたまっかよ! これ以上改造されてなるもんか!! 大体、今日は佐織とデートで今晩は章子にディナー……!)
 お互い、読心術者ではなくてよかったという内容だった。
 全力をあげて、逃げだそうとしていた九条は、しかし芋虫の匍匐前進の悲しいサガにぶちあたっていた。
 うごけねえ。
 大佐が、菓子折をもって背伸びをしながら佐藤の手を避ける。マッド佐藤は舌打ちし、しかし前方に立つ佐倉の腕を狙った。
 転んでもただでは起きない。
 佐倉は一瞬、気づくのが遅れた。
「……しまっ!」
 思わず、『本気で』足払いをかける。
 医師とはいえど軍医、腐っても軍人は、ひらりとまではいかないがどうにか避けた。その先に一宇が居る。
「うーわああああ」
 一宇は生理的嫌悪に似た衝動によって腕をつきだした。
 ――その手には、畳んだパイプ椅子が握られていた。

「一宇、軍医を殺すなよ」
 大事そうに、死守した菓子折の中身を確かめた大佐が、安堵のため息をついた。どうやらケーキやどらやきといったちゃんぽんな中身は無事であったらしい。
 ついでに注意を受けた一宇は、荒い息をつきながら我に返った。
「し、しまった! こんな人でも殺したら犯罪に!!」
 がしゃーん。
 一宇は、血痕生々しい金属を放り投げた。
 足払いをかけたままの体勢で、佐倉が呆然と呟く。
「……一宇、お前ってヤツは」
(こんなヤツって……お前はそんなことを言う子に育ったのか)
(すーげー、佐藤消えたらちったあまともなのがくるかなぁ)
(どうでもいいから助けてくれ!!)
 三者は沈黙したまま、一宇の顔を眺めていた。
 しかし、
「はぁ、痛かった」
 両手を前に直角につきだし、マッド佐藤は平然と起きあがった。生死を確かめに近寄った一宇は、すきま風のような声を挙げてのけぞった。
 マッドは首を左右に傾けて鳴らすと、
「超強化プラグを使っていてよかった。世の中、不条理なことが多いからな」
(ていうか貴様が言うな!!)
 ここにいる二十五部隊隊員全員の意見が一致するのは、けだし珍しいことだった。
 佐藤は何事もなかったかのように起きあがり、どう見ても殺害されていておかしくない頭の血をぬぐった。
「一宇君。噂には聞いていたが、君はえらくアウトローだね、気に入った」
「い、いいですいらないです」
 近づかれ、一宇は完全に腰が引けている。
 生き返られた(?)のも恐ろしいが、マッド佐藤のセリフは、ことごとくがイコールで『素体に丁度良い』に聞こえてならない。
「なー。九条、食えないなら俺が貰うな」
 ただ一人、大佐だけが、のほほんと医務室内に声を響かせる。
 初めから好物しか選ばなかった男は、献上品をぶら下げて医務室を出る。
「ま、待ってください大佐あ!!」
 一宇はマッドがもう一つ新しいタオルで頭を押さえたスキに走った。扉までがやけに遠く感じられた。
 さりげなく一緒に退出しようとした佐倉は、一宇に突き飛ばされるようにして廊下の反対側の壁に抱きつく。
 足下で「むーむー」と九条の嘆きが聞こえていたが、
「よーし、面会終了ッ」
 という大佐の声と共に閉められたドアの向こうに消えた。
「お前ら何が食いたい? 今ならスキなのが選べるぞ」
 帰ったら人数分ないし戦争だ、あっはっは。
 大佐の笑い声が遠ざかり、佐倉一族は顔を見合わせた。
 がたがたがた、と扉が鳴っている。
 いつ、例のアレが姿を現すのかもしれない。
 二人は、九条を救出せず、我が身の安全を確保することに成功したのだった。

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