この地はもう、お前を愛してなどいない。
それでも私はこの地に残る。
Bleibe(ブライベ)
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   Bleibe(ブライベ)   

15『深い溝』
   *
 何一つ正しくなんかならない。
「ねえ、話して」
 そう言われるのが好きじゃない。
 俺たちはそう言う生き物だから。
「ねえ」
 女と違って。

「女ってすね毛そるのかなー」
「え、ストッキングとかだとトグロまくだろ、そらなきゃ」
「ええ剃るの? そんなにあるの?」
「すね毛?」
 生々しいが、その群れがまだ若いシンクタンクの候補生だと納得できるものがある。
「無邪気だな」
「ですよね」
 憂乃のセリフに追随した一宇は、直後に憂乃によってひどく睨まれた。
「……俺、なんかやばいこと言いましたか?」
「いや……別に」
 なんでこの男はさほど年の違わない男どもの無邪気な《女性信仰》をそんな生ぬるい目で見ているのだろう。
 憂乃は不思議で仕方がない。

「ねえっ! 待ってよ!」
 不意に、街をきりさく声がする。
 甲高い、それでいてどこか甘えの抜けきらない女性の声だ。
 顔を上げ、一宇がきょろきょろと周囲を見回す。
「関係者じゃないみたいですね」
 じゃあ行きますかー、と、街の人込みに紛れようとした私服の一宇の腕をひき、憂乃がぎゅっと眉をひそめた。
「アレに見覚えはないか、」
「アレ? あんな見事な金髪のナイスバディなお姉さんの知り合いは居ないのですが」
「そうじゃない」
 女と、それから顔を近づけた憂乃の声が、一段と近くなった。
「女のほうじゃない」
「気に障ったんなら謝るから! ねえ!」
 かたまって喋っていた候補生たちの制服が、いっせいに声のするほうへ向いていった。
 一宇も思わず視線で追う。
 追いすがる女を置き去りにして、こちらに向かってくる男。
「げ」
 一宇が呟いたが、憂乃は構わず声をかけた。
「ランゼル、」
「おう、」
 なんだ二人でデートかー?
 のんきに言いながらも、ランゼルはいっこうに歩をゆるめない。
 小走りの女は、ほとんど肌も露わだ。
 ノースリーブに、薄いショールが一枚きり。足は何も履かないままで、引きずるように何百メートルか歩いてきたのだろう、ところどころ血が滲み、皮膚が破れかけている。
 きれいな顔立ちで、気が強そうに眉がつっていた。
「まっ……待ちなさいよ!」
 事情は大体分かった。
 一宇は半眼になってランゼルを見送る。
「また手を出して……」
「困った奴だ。妻子ある身で……よかったな、ここが反対側の街で」
 憂乃の呟きの意味を掴み損ね、一宇はわずかにバランスを崩した。
「ああ、まぁ。よかったですね、不幸中の幸いですね」
「一宇?」
 一宇は片足に重心をかけたまま、3秒くらい動きをとめた。
 お人好しだなぁとは思うのだ。
 思うのだ、が。
 一宇は軽く走り出すと、先程の女性の肩を叩いた。
「何よッ! 見世物じゃないわよ!」
 頬を羞恥でか真っ赤に染めて、女が力任せに一宇の腕を振り払った。
 長く伸ばした爪があたる。
「あ」
 一宇は自分の頬に一瞬だけ手をやると、指についた血をなめて、それから自分のジャケットを脱いだ。
「他人の痴話喧嘩に首つっこむような野暮な真似はしたくないんですけど。できれば貴方のようなきれいなひとがこういうことで後々まで傷つく原因をつくってしまうのはどうかと思いまして」
 さしでがましいですが、と再度付け足し、有無を言わせずジャケットを被せる。
 それから女性の手を引いて、ランゼルの後をしっかりと追った。

「あーっ! 分かったよもう! 俺が悪かった!」
 それでいいんだろ、と、浮田=ランゼルが絶叫した。
 その後一宇によってしっかり捕まり、自分の不始末は片づけましょうと微笑まれてやむなく彼はここにいた。
 あのとき置きざられた憂乃がなんだかすごく不機嫌で、それ以上、逃げるに逃げられなかったという理由もある。
 なんだかんだいって、身内には弱いランゼルであった。
 涙を滂沱と流し、女はランゼルを睨んでいる。
 小さな宿屋の一室で、ランゼルはいらいらと頭をかいた。
「だからさ。一体何が不満なんだ」
「不満なんてないわよ! 別に、私だってそんな、恋人気取りで貴方を束縛する気なんてないし」
「じゃあなんでそんなにヒスってんだよ」
 自己矛盾しているとしか思えない発言に、ランゼルのイライラがつのっていく。
「別にヒスってなんかないわよー!」
 手元の枕を投げられ、ランゼルはそれを片手で受け止める。
「じゃあさあ。もう、何が原因でこんなことになったんだよ」
 枕を床におき、ランゼルの声が弱くなる。
 単に飽きただけなのだが、女のほうも少し黙った。
「最近見なかったし、ひさしぶりだと思ったらすっごい無口だし沈んでるし」
「ああ、まぁそりゃあなぁ」
 街に出ると言ったら買い出しを頼まれてうろうろしていただけのランゼルは、彼女に声をかけられて半ば強引に連れて行かれたと思っていたりする。
 ――双方の間には、深くて広い溝があった。
 女はしばらく間をおいて、せきが切れたように一気に喋る。
「だから! あたしは、いつも自分一人で考え込んじゃって苦しいんじゃないかなと思ったから! 話して相談して楽になったらって!」
「はぁ!?」
 頭を抱えこんだランゼルに、彼女は理解できないといった顔でいいつのる。
「だって考え込むだけじゃなんにもならないじゃない!」
「俺が無能だとでも言いたいのか」
「そんなこと一言も言ってないわよ!」
 沈黙。
 息切れした両者、外で待っている一宇たちにも声はしっかり聞こえている。
 本当は帰りたいのだが、憂乃の不機嫌がなおらないので一宇にはどうしようもない。
「ああ……なんかこう、無邪気ですよねえ」
 ほのぼの、と呟いた一宇を見上げ、憂乃が気味悪そうに遠ざかった。
「どこが、何が?」
「さっきの少年たちといい大佐といい。こう、散々経験あるしお姉さんだっているのに、なんでそんなに女性心理とかけ離れた思考様式のままでいられるのでしょう」
「……」
 お前は?
 一宇につっこみたいが、憂乃は黙って明後日の方を向く。
「これってあれですよね。女性は喋ることで問題についても苦しさをマシにするけど、男は黙り込んで自分でどうにかしようとするから、無理に聞こうとすると自分が見下げられたと思ってショック受けるそうですよ、心理学でやった気がします」
「……エセじゃないのかそれ」
 男女の別などさほどないような気がする憂乃に、一宇は重ねて、こういった。
「男女の育ちに差異があればなりますよ。脳の発達の問題ですからね。ていうか仕組みが違うって話の本だったんですけど」
「本なんじゃないか」

 騒ぎは一通り収まったが、彼らはまだ基地に帰れない。
「せめてー、せめて日が暮れる前にー!」
「まったく……ランゼルを呼び戻せと今更指令を送ってくるな上層部のバカどもめ」
 憂乃の隣、一宇は耳を塞いでしゃがみ込んでいる。
「だから分からないんだよなぁ、色恋沙汰は」
 呟いた憂乃も、耳に引っかけたイヤホンマイクに意識を集中してしまっている。

 人間とはかくも不思議な生き物なり。
「仲良くなるのはいいですけどー! 大佐ー、俺たち帰れないーあーかといって現場に踏み込むのはイヤーいぃやあー」

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