この地はもう、お前を愛してなどいない。
それでも私はこの地に残る。
Bleibe(ブライベ)
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   Bleibe(ブライベ)   

24−6


   *
 お前が情報の総括になるのではなかったのか。
 豊かな国を作るのではなかったのか。
 思想間の齟齬を埋めるのではなかったか。
 違うもの同士をうまくつどわせ、病を人から取り除くと大言壮語したのではなかったのか。
 お前が――。

「うきうきするね」
 不謹慎だが、アルフォンス・ネオはそう思う。
「東南の砂漠にひっそり住まうアクネスの民は、ローズのおかげで北方からの感染者の移入を防がれている。しかしこれ以上ローズが攻勢すればつぶされることになる。南方には『壁』があるからこれ以上南には逃げられない――ねらい打ちにされるからね。かといって壁を作っているその国に入ることはできない、半数が死んで半数が奴隷になるっていうんだ、多少きつくても自分の土地には残りたいという」
 かた、と硬質な音を立てて、チェスの駒がまた一つ動かされる。
「カノトは動かないつもりらしい。ローズがつぶれてくれたほうが脅威は減るが、表立ってローズをつぶす側に回ると――すなわち軍を支持すると、即座に侵攻されてしまうおそれがある。ゆえにポーズとしては軍に対しデモを起こしてみせる――」
「それでアーリー? どうしようか?」
 青銀髪をかすかに揺らし、青年が駒を指先でもてあそんだ。上品で戦慣れしていないように見える顔でいて、その眼光はどこか鋭い。珍しい意匠をこらした飾り布をゆったりとまとい、彼はわずかに笑ったようだった。
「君に聞いているんだが?」
 片目を細め、アルフォンス・ネオは駒を動かした。
「それが問題なんだ」
 大まじめに頷いて、アルフォンスは青年を見つめる。
「どうしようか」
「先に聞いたのは私だよ」
「レナリア、手を貸してくれないか」
 現在、アルフォンス・ネオはアクネスよりやや北の、砂漠の地下に潜んでいた。
 ここから約五キロほど北に向かうと、レジスタンス・ローズの本拠地がある。
 首を傾げ、レナリアは頬にかかる髪を指で払った。
「そうだね、すでに憲法草案はできあがっているじゃないか」
「そこから先の話だ」
「先?」
 鼻で笑い、レナリアが駒を動かす。
「普通、そんなに早くから法律だけ整備するものかね」
「しておいたほうが安心だろう?」
 どうせもうすぐ必要になる、と、ぬけぬけと言い放ち、アルフォンス・ネオは指を組んだ。その、ある種傲慢な微笑みに、レナリアはやれやれと肩をすくめた。
「アーリー、君は私の持つ元帝国の遺児の肩書きがほしいのかもしれないがね、私が君に従わずに国をとるという可能性は考えないのか?」
「国など要らないといったのはそちらのほうだが」
「まぁ、それはそうか」
 小部屋を埋め尽くす書籍たちは、床にまで所狭しとなだれている。
 そこにさらに雑然と広げられたのは、何年もかけて組み立てられた法案の思索が記された紙切れの山。
「勝負だよ、アルフォンス」
 レナリアは決して立ち止まりはしない友人に忠告をほどこした。
「感染についてどうにかなりさえすれば――医療と福祉に長けていれば、人は自ずとその恩恵を受けたいと思うようになる。まずは国家の話は出さず、純粋に丸め込むことからはじめることだ」
「だから今、いちばん手強い例の感染モノをどうにかしようとしているんじゃないか」
「……どうにかしきれなくて私に相談に来るのはどうかと思うがね」
 苦笑し、アルフォンスは駒を盤上にちらつかせた。
「それはそうだ。迷惑をかけるね」
「でもまぁ、見応えのある試合になりそうだ」
 チェスと違って。
 笑んで、レナリアは盤を片づける。
 彼は決して裏切らない。富と名誉に付属する責任を回避するがゆえにレナリアは世捨て人さながらに砂のしたに隠れる。そんな彼でも、アルフォンスの起こす行動には手を貸してしまっていた。
「大変だねぇ、アーリーに好かれたこの世界の人間たちは」
 かつての権力者の子孫は、いましもアルフォンスの手のひらで踊らされている人員が哀れでもあり、興味深くもあるものだった。
   *
「いち、う!」
 砂を踏む、その靴底に砂の一粒一粒が触れる。
 周りの人員は各々白兵戦の状態に陥りかけ、あちこちで怒号と悲鳴とが混在していた。
「あんた、ホントにしつこいねえ」
 皮肉げに右頬を歪め、その男は軽くマシンガンを掲げた。すくめた肩に視線を移し、憂乃は泣きそうになる顔をどうにか怒った表情にとどめる。
「お前は、軍のシンクタンク生によく、似ている」
「それで?」
 それを口にするのにかなりの労力を必要としたというのに、男は飄然として意に介さない。
 憂乃は利き手を取られ、勢いを利用する形で抱き込まれた。
「しまっ……!」
 後悔しても遅い。
 一宇、とおぼしき人物は、左手と自身の体で憂乃を締め上げる。
 確か一宇は体術が得手である。調査書に書かれていた特徴を、ランゼルがぼやいていたことを思い出した。
 ――接近戦があったとしても、直接体をぶつけあってる暇はなかろう。
 やはりオールマイティな点を取るか、と言って、浮田は二十五部隊に入隊させたいというむねを、正規にシンクタンクに申し入れしていた。
「で? なんだってわけ? あんた、俺が誰か知ってるんだ?」
 神経の、上を滑るような囁きをされて我に返る。
 首筋にぎりぎり唇近づけられ、普段なら、けっしてあげない声になりかけた。
「はっ、はな、せ!」
「良いなきごえなことで」
 嘲るような笑いが肌を這う。
 憂乃は歯を食いしばる。
 一宇なのか?
 この声も、体も、一宇だと思う。
 でも。
 ――分からない。

 不意に、拘束する力が弱まった。
 腕を突き上げ、肋骨を折る勢いで技を決めた。
 容赦はしない。
 怪我をさせても、連れて帰れないよりマシである。
 ……少なくとも、憂乃にとって。

 空気を吐き出し、少年は距離を取った。決まったにしてはダメージが少ない、そう思った憂乃は、彼が引き寄せた左手からウサギのぬいぐるみがこぼれ落ちるのを見た。
「後ろのぽっけに入れっぱなしだったんだなぁ、これが」
 にやりと笑うが、少年の顔は精彩を欠いている。
 憂乃の後方から、聞き慣れた声が届いた。
「遅くなったな! 真打ちの時間だ!」
 周囲で憂乃に他のレジスタンス要員が向かわぬよう戦ってくれていた者たちが雄叫びをあげる。ランゼルは空を確認し、軍人に向かって一声をあげた。
「全員配置につけ!」
 軍の遊撃隊――すなわち元第二十五部隊の分隊が不意打ちをかけに来たのである。時間通り、頭上を通過した九条の機が爆撃を開始する。
 勢いを増し、第七部隊がローズを薙ぐ。

 それに勇気づけられ、振り返らずに憂乃は少年につっこんだ。
「イチウ!」
 丘になった位置から、総統の地位に並び立つ女が叫んだ。
 イチウ本人は誰も見ない。
 顔を地面に向け、拳を挙げる。
「うるせーんだよどいつもこいつも!」

 砂が逆巻く。
 泉のように噴出した砂のあおりをくらい、軍人もローズも一瞬状況を見失う。
 少年が地面に投げつけた爆薬により、地面の一角に大きな穴があいていた。
 深淵へと誘うような口を開けた大地に、女王たるルーディは舌打ちする。
 砂が落ちていく。
 その底から、斬撃の音が響いていた。

「いたたっ……なんなんだここはッ」
 憂乃は鉄筋の破片を避けながら起きあがる。
 ざらざらと砂が降ってくる方向に、ぽっかりと空が浮かんでいた。
「地下があったのか」
「こーんな、地盤の危ういところに。ねぇ?」
 思いのほか近くで声が聞こえ、憂乃は嫌悪と共に足を蹴る。
「おっとお! そーんな技が決まるかよお!」
 大声を上げ、少年は光から一歩引いて、むき出しの鉄筋に棒をたたきつけた。
「はっはー! 所詮その程度か、ばーかっ」
 かーん、
「にぶいんじゃねえの」
 どがしゃ、
「おっとお!」
 べしいっ、
 最後の一撃は憂乃本人の手によるものである。
 少年は頭を押さえてうずくまったが、すぐに、
「ぎゃー」
 と小さく呟いた。
「なんなんだ貴様は」
 警戒を解かず、憂乃は一気にではなくじりじりと距離を詰める。
 頭だけで振り返り、少年は、ふわりと笑んだ。
 よく見慣れた、見慣れてしまった笑みだった。
「よかった。来てくれたんですね」
「一宇?」
 少年は頷く。そして、右手の棒で壁を殴りつけた。
「音を、立ててください。戦っているフリをしないと、ばれるから」
「ど、どういうことだっ! お前、一体ッ」
「ちなみに、会話は小声で。叫びは大袈裟でも良いんで大きく元気よくお願いします」
 狂気のない瞳に、憂乃は戸惑いながらも頷く。
 イチウは――一宇は、戦闘の合間に、かいつまんで話した。
「俺、レジスタンス『ローズ』に捕まったんですけど、どうも目のことがばれてたみたいで」
 神の左目。
 憂乃は、神の左目――極秘裏に行なわれるというマザーコンピュータMの端末埋め込みを知っている。そしてなぜか、一宇にその手術が行なわれたことを、多くの隊員が冗談交じりに知っていることも知っている。
「それが、どうも、左目を持つものはマザーの秘密を知り得てしまうからっていうんで死ぬときとかは自爆するようにできてるらしいんです」
「知ってる」
「で。どうせ生かして置いても軍に位置を把握される、殺すにも――なんか他殺だと半径五キロふっとぶらしいんですよ」
「それは噂だろう」
「やー、どうなんすかね? ていうか左目って昔の制度じゃないですか、現在人間に埋めたところであんまり役に立たないと思うんですけど」
「話が逸れてるぞ」
 すいません、と頭を下げた一宇の上を、憂乃の左足が通過していく。
 型どおりに技を掛け合い、どうにか戦っているふうを装ってみているが、ときどき本当に当たって、主に一宇が吹っ飛ばされる。
「あー。それでですね、軍人になるって人間なんだし、例の、破壊行動に全力をそそぐようになっちゃう、問題のウィルスがあるじゃないですか、アレを使って他のヤツら同様に狂戦士みたいに使うということになって。直接、注射を受けました」
「なんだと!?」
 感染している?
 それなのに、イチウはともかく、目の前の一宇(?)は憑き物が落ちたような目をしている。
 感情の波があるのだろうかといぶかった憂乃に、一宇は言葉を続けた。
「それが、俺は発症しなかったらしくて。注射を受けてしばらく寝込んでいたらしいんですが、目が覚めたら、風邪で寝込んだときぐらいの症状しかなくって」
 発症しなくてよかった、そう思うと同時に、別の意味でこれはヤバイ、と気づいたのだ。もし注射によっての感染を免れているとしたら、次に何をされるか分からない。
 一宇はこれについて、狂気を、自分を見失う恐怖を、避けるためのチャンスと見なした。自己防衛のために彼はあえて攻撃的な人格を装った、というわけである。
「軍人殺すにも、イヤだけど、ほら、さすがに殺さないわけにもいかない。だからどじを踏みやすいヤツだということにしたんです。派手に騒いで、うりゃーとかやって、むしろローズの被害を拡大してみました――ばれないように」
 ばれていないのか、今ひとつ自信はない。
 特に。
 思い出すだけで背筋が凍える。
「……ジークは、知ってたかもしれない」
「誰だって?」
 一瞬迷い、一宇はその男のことを、話そうと、して。

「呼んだかね?」
 靴音に、弾かれたように振り返る。
 その男の全体を認識するより先に、黒いつま先が見えた。
「一宇!」
 叫びながら、憂乃はホルスターから銃を抜く。
「無駄だ」
 酷薄に頬を歪め、男は闇一色の着衣の裾をひるがえす。
 長い黒髪が風のない空間に流れ、引き金をひかれた銃から逸らさない目が獣を思わせた。
 ――避けられる。
 悟った憂乃は戦法を変えた。
 一気にはねて距離を広げる。
 向こうの方が背もあり、自然とリーチの差が生じる、本当なら間合いは広げずに一気に攻め、落としてしまいたかった。
 それが、できない。
 いちど取った距離を埋められず、憂乃は肩で荒い息をつく。
 形だけとはいえ一宇とやりあった後なのだ。体力が削られている。
 もし、この男が本気になれば、ネズミ二匹など一瞬でひねりつぶされるだろう。
 しかし男は興味なさそうに、憂乃を一瞥したきりである。
「生きているか、一宇」
 自分で蹴り転がしておいて、起きているならさっさと起きろといわんばかりにつま先でつついている。
 端整な横顔に見覚えはないが、行動のいい加減そうなところが、既視感をおぼえさせた。
「あいつか」
 舌打ちした憂乃に、男がふい、と振り返る。
「何か?」
 上から物を見るような目だ。胸の底から嫌悪が浮かぶ。
 その一方で、その目つきが、人を嫌うものではない目だと気づかされる。
 人と同じ次元には立たない。
 人間であるはずが、それを越えたような、どこか奇妙な越境者を思わせる。狂気の静寂ではない。それは狂気に見える、しかし理性もあるものの目だった。
「いやに澄んだ目をしているな、アレに感染しているわりには常軌を逸していなさそうだ」
 あえて軽口を装った。
「ああ、私は投薬を受けていない。正確には、薬は効かない」
 ジーク、と一宇が呼んでいた男は、演説会場での私語のようなひそやかさで言う。
「彼と同じだ」
「同じ? 一宇は薬が効かない体質なのか?」
「先程彼が言っていただろう?」
 会話が微妙にずれていると感じ、憂乃はじっと押し黙った。
 緊張のせいでなかなか体力が回復しない。
 誰かが来れば事態は変わるが、その前にそれが味方である保証はない。
 どうする?
 目の前に、焦がれ望んでいた存在がいるのに、連れて帰れないことに苛立ちが募る。
 そのとき、
「ひゃっほーい」
 似ているなと思ったばかりの相手の声が上方から聞こえてきた。どうやらコレはホンモノらしく、声が聞こえるわずかに前、とっさにジークが持ち上げた鉄板の後ろに避難した。
 ピアノの連弾のように着弾する音の後、憂乃はすがめた目を元に戻し、一宇の腕を掴んで立たせる。
「逃げるぞ……!」
「あっ待って大尉俺足くじいちゃったかも」
「何ィ!?」
「なーんて」
 ね、と、足にやった手で瓦礫の隙間に挟まっていた銃の引き金を引く。わずかな隙間を縫って飛んだ弾丸が、瓦礫に散々弾かれた挙げ句、飛び出してきたジークの眼前をかすめて消えた。
「ちぃっ!」
「わー撃たないでー!」
 しかめた顔で銃を向けられ、一宇は今度こそ逃げ出した。
「アレで仕留められると思ったのに!」
「本気か」
 憂乃が呆れたように言い、柱の影から手招きしている軍人たちの脇をすり抜けた。
「少なくとも足に当たれば行動速度を落とせます」
「……足を狙ったにしては上過ぎやしないか」
 激しい銃声がして、急に反響だけが屋内に響く。
 静けさに眉をひそめ、一宇が無意識に首元へ手をやった。
「……軍の部隊、強いですよね?」
「あぁ」
 それなりにな、と言い、憂乃もまた渋面を作る。
「最初の連帯任務のときのことを思い出すな」
「……アレは連帯だったんですか? 俺護衛だって聞いてたんですけど」
「護衛だ」
 にべもなく言われ、一宇は頭上を走る配線を見る目を少し細めた。
「わー、つまんないなー」
「何がだ」
「折角会えたのに、ハグできないなんてそんな」
 憂乃は無言で装填済みの銃を一宇に向けた。その顎先をかすめ、飛んだ弾丸がレジスタンスを伏せさせる。
「お前、人格変わってないか?」
 うさんくさそうに言われ、一宇もふむ、と首を傾げる。
「そうですか?」
「あぁ、お前すごい猫被ってるタイプだったんだな」
「気づかないもんですかね?」
 急に立ち止まり、一宇が緑色の配線コードに小型ナイフを突き立てた。柄が通電する物質でないとはいえ、配電盤まで金属でえぐって火花を散らされると気が気ではない。憂乃がやめさせようとしたが、すぐに振り返って数発撃った。
 後続の軍人ではない――足音が、重装備の軍人たちとは違っている。
「あいつ、生きてるな……!」
「待ってください大尉、あと三分下さい」
 長い、と返し、憂乃はじっと闇を睨む。電源が落ちた廊下の奥に、ごく稀に銃声の反響音が響いている。
 かつ、と音がして同時に憂乃が一撃を見舞う。
「しまった上か!」
 天井に向けてナイフを投げたジークが、黒豹のような正確さで獲物へ駆けた。
「大尉!」
 一宇が叫び、視界が一気に白熱する。
 電気系統は死んでいなかったのだ――憂乃がそう気づいた頃には、彼女は一宇に背負われて、非常階段に居並ぶ死体を飛び越えていた。
「お前、何をした……?」
「配電盤を壊して、電気だけとって線を繋ぎ変えて、水があればよかったんですが時間もなかったんで感電死はやめてただ電気をつけるだけにしました」
「電気をつけるだけ?」
「ジークは暗視スコープを使ってませんでしたけど、あれだけ正確に撃てるならかなり暗闇に目が慣れてたと思います。多少は効いたんじゃないかと」
 普通の光量の倍はありましたし、と呟き、一宇はふと渋面になる。
「つまり俺にはジークを殺す暇も技量もないんで、逃げます!」
 一宇が階段を上りきるのが先か。銃弾がその足先に着弾し階段を欠けさせた。
 息をのみ、憂乃は後方に手榴弾を投げる。
「うわ大尉!?」
 一宇は慌てて砂上に飛び出て、次の瞬間爆風によって吹き飛ばされた。

「は、ははっ」
 砂に顔からつっこんで、一宇の背からも吹き飛ばされて転がった憂乃が笑い声をあげた。
「どうしよう一宇」
「な、なにがですかもうっ!」
 砂に沈んだのも一瞬のことで、即座に顔をあげて駆けだした一宇が非難した。
「大尉、今ので絶対ジーク敵に回しましたよ!」
「最初から敵だ」
 真顔で起きあがり、憂乃は周りの銃撃戦が収まりつつあることを確認する。
 もうもうとあがる土煙の中、さらに地面を突き破って砂と空気が天高く吹き上げられた。
「地下に武器庫でもあったのか?」
「……あった、みたいですね、地図では古い研究所が地下にあるように見えましたけど、ローズは使ってないようでしたし武器庫にはしていない筈ですよ」
 死んだかな、とぽつりと呟く憂乃を抱え上げ、一宇が一目散に駆けだした。
「死ぬわけがないですジークが!」
「何だ? なんかものすごい男のようだなさっきのやつは」
「ホントにやばいんですってばうわー!」
 地揺れが起こり、人の声と砂の崩れがいっそう激しくなった。
 離脱するための約束の場所へ、憂乃は一宇を指示して向かっていく。

「げっ」
 一宇は砂丘を登り切らずにとっさに身を伏せた。太陽は中天を越え、硫黄臭に似た匂いがどこからともなく漂っている。
 憂乃は中途から自力で走ってはいたが、後方に注意を向けていたために一宇に激突して砂の中に転がった。
「……すいません」
 恨めしげに睨みあげられ、一宇が振り返らず謝罪する。
 憂乃は特に追求をせず、退避を始めた軍人たちの群れに停止を指示した。信用しすぎて前を見ていなかったためにぶつかったのだ、平静を欠いた心理状態がしのばれて、何人かが微笑ましいなと口の端で笑いをかみ殺した。
「……上空に、九条先輩が戻ってきます」
 一宇が告げ、さらに姿勢を低く保った。
「でも、地上にローズのトップが居る」
「何人だ」
「ジークが帰ってこなければどうにか……十五名です、反対側から大佐がこちらへ向かってきているようです」
「ランゼルが居ればどうにか出られるな」
「どうでしょう……ん、あれ?」
 不意に、一宇が顔を上げた。気休めだと知っていながらも頬に当たる砂粒を左手で払いのけ、彼は次の瞬間、敵前にもかかわらず大声を上げた。
「そこは地雷原だ!」
「それはそれは……こちらも女王陛下のもとへ向かわねばならないな」
 唐突に、金属が頭の皮膚に押しつけられた。
 一宇は息をのみ、両手をあげてゆっくりと振り返った。
 予想通り、いやにすすけてはいるがジークが変わらぬ姿でそこに立っていた。
「チェックメイトだ」
 ジークが引き金を引けば一宇は即座に命を奪われる状態にある。両手をあげたまま周囲を眼球だけ動かして見てみれば、十数名居た仲間のうち十名ほどが声もなく砂に顔を埋めていた。
 手際の良すぎる男に、憂乃がかすかに舌打ちした。
 後頭部を遠慮無く柄で殴られたため、目を開けているのもやっとだった。銃器は、ジークに気づいた瞬間に蹴り飛ばされたので手元にはない。
 ジークの後ろにも数名、レジスタンス側の人間が居る。全員、無事とは言い難い風体で、血走った目をしていた。
 一刻も早く殺してしまいたい、と顔に書いてあるような連中をなだめ、ジークは長い黒髪をひるがえして前進した。

「これ以上先には進めません」
 後ろ頭に銃口を突きつけられている一宇は、もう一度押されてもなお足を進めなかった。
 ジークが目を細め、迂回するように銃口でもって一宇を追い立てる。
 砂の上に変化は見えないが、どうやらこの一帯にはところどころに地雷が埋められているらしかった。
「こんなものを埋めている暇があったら井戸でも掘れ……っ」
 呟いた憂乃は首の後ろを筒でしたたか殴られた。

 前方で、数名に援護された一人の男が、老いた男の首を放り投げた。
「成る程? 人質交換か?」
 男の声に、女王の体がわずかに震える。それは、砂上に転がされた父親の首への思いのためか、それともローズが壊滅状態にさらされていることへの怒りのためかは判別がつかなかった。
 ジークの両手で構えた銃を見、男が――ランゼルが冷笑した。
「見てみろ、お前の忠実な部下はまだ殺人を続けるようだぞ」
「黙りなさい」
 ようやく首から目を離し、女王は鞭を振り上げた。砂が散り、鋭い刃を仕込まれたしなやかなツルが新たに生者の首を打った。
 ランゼル自身は回避しきったが、援護に回る者たちが数名、かなりの血を流した。
 両陣営共にすでに弾は尽き、極めて原始的な方法に頼らざるを得ない。
 ランゼルは大型のナイフをひらめかせた。
「くっ!」
 女王が身を返し、ジークが撃った銃弾がランゼルの持つライフルの柄に当たってはじけた。同時に一宇がジークを背負い投げし、しかしその勢いを利用されて砂に落とされた。
「一宇!」
 憂乃が、血塗れた腕でジークの腹を狙う。後ろについていた男が無防備に腰に下げていたサバイバルナイフを奪い取った彼女は、すでにその男を絶命させている。
 しかしジークは皮一枚のところで回し蹴りの勢いを利用して避け、憂乃は左耳に触れかけた靴底に顔をしかめた。
「大尉!」「任せたぞ!」
 その隙にジークの背中に肘を落とし込んだ一宇に、憂乃は小さな瓶を放る。飛来物の内容に気づいた一宇は、それに手を伸ばしきる前に身を引いた。
 とっさに瓶をたたき落としたジークが、内容物に思い当たって色を無くした。
「液体火薬……!」
「ご名答!」
 至近距離にもかかわらず憂乃が銃を撃つ。
 揮発した溶剤に着火が起こり、辺りは大きな爆風に飲まれた。

「さすがに死んでくれないと困るな」
 地雷原にもかかわらず爆薬を使った危険人物は、砂煙の中で誰かから奪ったゴーグルを身につけた。
「大尉、今の火薬の適応範囲が二メートルだって知ってましたよね?」
 とっさに距離をとって無事だった一宇が、文句を言いながら体を起こした。
 しかしすぐに黙り込む。そして、急に一宇の腕をとって引きずりあげた人物が敵ではないことに気がつくと手に持っていた小型ナイフを下に降ろした。
「行け、すぐに回収しに来る、時間がないぞ」
 ランゼルが油断無く、ほとんど視界の得られない周囲に目を配りながらそう言った。

 辛うじて無事な人員が、次々とロープにつり上げられては飛んでいく。決して効率的とは言い難いが、一機、シューティングスターと呼ばれる攻撃戦闘機の上級使い手が居るために地上の敵からは手が出しにくかった。
 商隊の護衛隊はすでに戦線を離脱し、軍人の一部もそれに従って徒歩で戻っているらしい。耳に響いてくる佐倉の声を一時的に黙らせ、砂煙が収まりきる前、ランゼルは頬にいくらかの血筋を作って砂の上を後転した。
「なかなかやるな」
 利き手をおさえ、しかしすぐに動く手で引き金を引く。
 それがジークから奪い取った銃だと気づき、一宇がナイフを投じる。
 あっけなく返された以上ジークを殺すまでには至らなかったかと身構えたが、一宇はすぐに構えをゆるめた。
 背後に庇われる形になっていた憂乃が、同じくジークによって軍人から距離をおかれていた女王と目があった。
 ふと笑う女王に、憂乃は不信感を募らせる。
「何が可笑しい」
「別に? ただ、やる気になれば民間などたたきつぶせる癖に、どうしてのろのろしてたのかしらと思っただけよ」
 黄土色にゆがんでいた視界が、やがて晴れる。
 駆けだしたランゼルに一拍遅れて一宇と憂乃も降ろされたロープに手を伸ばした。
「もしかして大佐、ジークを」
 ぼそりと聞いた一宇に、ランゼルは軽く肩をすくめる。
「利き手はやられたが、むこうは致命傷だろ――肋骨にいっぺん引っかかったが、あれだけ深く突いてりゃ心臓に当たってる」

 砂に立ち、ローズ首領は死者の中でなお哄笑した。砂に首をつっこんだ黒服の男が執念のように伸ばした腕から数発の銃弾が発射された。
「イチウ、その命、惜しくないようね!」
 女王の冷笑に同じく冷笑で返し、一宇は首元の銀の輪を指で弾いた。
「生憎ですが女王さま、ラッキーなことにちょうど今朝、ようやく起爆プログラムを解除させていただきました。首輪自体はきりはなせなかったですけど、爆弾の起爆はできません」
 一宇はずっと、吹き飛ばされまいかと冷や冷やして生活していたのだ。意識せずにはいられない位置に着けられた爆弾、もし専門職であればもっとはやく解除できていたかもしれないが、それでも、この状況におかれた者としては平静な対処であり優秀とも言える。
「お前、それで何度も軍人と接触していながら戻らなかったのか」
 呆れたように呟いた憂乃が、地上の様子から目を背けた。
「えぇまぁ……解除するより先に俺の首が吹っ飛びますからね……悪いとは思いましたけど敵に回ったままで生き延びさせて貰いました」
「そうか」
 地上から遙かに遠ざかり、すでに距離もあいていて女王がどうしているのかを肉眼で確認することはできない。ただ、ひときわ大きな砂煙があがり、何かの破片が空高く吹き上げられているのが目に見えた。

「みなさーん!」
 深刻な顔をした三者に、明るい声が降ってきた。
 顔を上げると、コックピットで九条が暢気に手を振っている。どうやら一人乗り戦闘機に三人つり下げて飛ぶという無理な体勢をとっているらしいと気づき、一宇が蒼白になった。
 そして九条は、予想通りのことを告げた。
「どう考えても定員オーバーなんで、そろそろ高度が保てませーん!」
「やはりな」
「やはりって大尉ー!」
「よって少佐んとこへ落とします、それでは皆さん、基地跡地でお会いしましょう!」
 半泣きの一宇は、首の飾りを半ば無意識に掴んだ。
「これ、まだ衝撃で爆発するかもしれないンですよ!?」
「どうにかなるなる」
 大佐と大尉に同時に言われ、一介の候補生としては破格の体験をしてきた少年も悲鳴を上げた。
 折しも、急降下した機体が砂の中へと三人を吊したロープを引きずり始めていた。

「で、大佐。俺だけが目的なわけがないですよね」
「何がだ?」
 失血死しないように器用に利き手に布をまいていたランゼルは、布の端を顎でおさえて首を傾げた。
「経験上、そして論理上、俺を連れ戻すことだけが目的、なんてことはないでしょう」
「だって、お前には神の左目があるじゃないか」
「それにしても! ……なんっか、腑に落ちません」
 大佐は、一宇の顔をまじまじと見つめた。それからにいっと頬をあげる。
「ははーん、妬いてるのお?」
「何をですか、何を」
 一宇の声に、似た質の声が被さった。
 振り返った少年に、佐倉豊治少佐が笑みを見せる。
「お帰り、一宇」
「お……おじさん無事だったんだ!」
 叔父さん無事だったよー褒めてくれー、とランゼルが二人を真似して憂乃に飛びつこうとしたがあえなく蹴り倒された。
「ひ、ひどい、俺頑張ったのに、頑張ったのに……ッ」
 へたり込む大佐に、一宇をはりつかせた少佐が「ハイハイ偉かったですね」と投げやりに応えた。
「で、皆さん。被害規模と現状を考えればすぐに分かることなのですが、ここでだらだら喋ってる暇はありませんよ、さっさと帰還」
「うわ、もう出るのぉ?」
 来し方を思い、ランゼルが渋面になった。あれだけ延々と砂漠を歩いてローズまで行ったのだ、ここは佐倉の隊がいる場所なので基地(跡地)まで半分は距離が埋まっているが、それにしても気が遠くなりそうで目が回る。
「わ、回ってる、マジで回ってるよ!」
「何をはしゃいでるんですか大佐」
 立ち上がったはいいがよろけているランゼルに佐倉がふと顔をしかめる。
「……大佐、もしかして失血しすぎてるんじゃないですか?」
「かもしれない」
 支えてやりたいが小さすぎてつぶされる恐れのある姪は、黙って隊員から水筒を貰い受けランゼルに放った。
 礼を言い、いくらか飲んでランゼルは息をつく。
「すごくだるいな、暑いな、最近さぼりすぎてたからかな」
「もともと砂漠が得手じゃないでしょう、大佐は」
 佐倉は「生きてたー良かったー」と騒ぐ甥を胸元から引きはがし、無線で作戦終了を宣言した。
 これより全員、帰還せよ。

 すでに帰還しつつあった者たちも、勢いを得て帰っていくだろう。
 ほっとしたのもあってか、佐倉も少しふらついた。
「脱水症状ですかね」
 一宇は両目でまぶしげに砂漠を眺め、それから隊員から水筒を貰った。
「……バカめ」
「は、何ですか大尉?」
 水筒に口をつけ、憂乃が軽く首を振った。

 作戦は終了し、あとは帰るだけである。さすがに皆、気が緩んだのだ。
「んじゃ、食糧も気になるんで、さっさと帰るか」
 しばらく荷物の影で涼んで、大佐がのっそりと声をあげる。
 作戦の真意を語ることなく、彼らはゆっくりと帰路についた。

砂漠の女王作戦編 了

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