偽装ロック

「毎晩、眠る前に本を読むことにしているの」
 伯母は、秘密を打ち明ける口調でそっと告げた。
「何の本?」
 儀礼的に、心を込めずに答えた私に、「これ」と、伯母は辞書を取り出して見せた。
 大振りで、片手ではとてもめくれない、分厚すぎる紙の辞書だ。
「大切なのはね、カラー図版がついていること。小鳥の色や、鳴き声も分かる」
「それなら、電子辞書でもいいじゃない。小鳥の鳴き声も調べられるんだし」
 私の声は、どうしても素っ気なく響く。
 伯母は気にした様子もなく、
「ふふ。だめ。あれだとねぇ、ちょっとしか表示できないじゃない? 調べものだとかの、用事があるときならともかく、読み物としては、どうにも一ページが狭くって」
 ベッドサイドの間接照明が、伯母の頬に柔らかな陰を生んでいる。伯母はさらさらと辞書の表紙を指先で撫でさすった。
「一日に一ページずつ読むのよ。そうしても、あと三年は持つの」
 伯母は、しおりの紐を少し引いた。書店でもらうのとは違う、金属がレースのように模様を描くしおりが、薄い紙の間に挟まれている。辞書は、もう四分の一くらいまで読み進められているようだ。
 いったいいつからやっているのだろう。
 膝を抱えて横目で伯母を見つめると、伯母はふわりと微笑んだ。
「大丈夫よ。これを読み終わったら、次はブリタニカにしようと思うの」
 伯母は心底嬉しそうだ。
 変なの。
 お母さんより年上で、一人暮らしをしている伯母のマンションは、全体的に明るくて清潔で、古びて優しい家具やほどよく洗われて柔らかくなったシーツ、タオルたちが、ゆったりとした空気を醸し出している。
 自分の気持ちを表現するのがロックだ、と昔母は言っていたから、これらもすべて、伯母のロックなのだろうか。
「さぁ。もう寝なさーい」
 伯母は今日、傷だらけでやせた私を見て、玄関先で目を見張ったくせ、どうしたの、とはいっさい聞かない。
 私も、何をどうしたのか、今一つ覚えていないし、何でこうなったのか、はっきり知らない。
 ご飯を与えられ、いい匂いのするお風呂につっこまれ、その間に服が洗濯され、今や、膝を抱えて伯母の隣に布団を用意してもらって、座っている。ベッドは伯母のものだからと遠慮したら、床に客用布団を敷いてくれた。
 伯母の指が、ランプシェードにそっと触れる。
 蝋燭を模して、ゆらりと、電気の明かりが消える。
 不思議と、この闇は怖くない。
 私は目を閉じて、伯母が辞書を脇へ避ける、物音だけを聞いていた。