獅子を飼う

 お父さんが、獅子を拾ってきた。
 玄関にこうこうと明かりがついていて、少し首をすくめたスーツ姿のお父さんが、腹に抱えていたモノを、そっとたたきの上におろした。
「おねーちゃん、アレ何?」
 二十歳をすぎた姉に、同じく二十歳をすぎた妹が聞くと、
「犬? 子犬? か、猫? それにしてはぶちゃいくだなー。パグみたい」
 姉の言葉尻にかぶせて、くしゅん、とそれはくしゃみをした。
 目がくりくりとしてとても大きい。どこからどう見ても、パグに似ている。ただ、全体が丸っこく、足は意外にしっかりと踏ん張っており、尾の先は房となり、耳はぴんと立っている。柄も違う。
 柄だ。柄があるのだ。
 白地に赤の模様が、ゆらゆらと描かれている。筆を執った人は、よほど気分よく模様を書いたようだ。つるりとした肌は、触ると気持ちよさそうだった。
「おかーさん。おとーさんが猫拾ってきたみたいなんですけど」
「お姉ちゃん違うよ! アレ、なんか違うよ! 少なくとも生き物じゃないよ!」
 妹が姉のシャツの袖口を引っ張る。
「生き物じゃなくないよ」
 と、父が口を開いた。
 つやつやした生き物の、渦を巻いていかめしく立っている頭のてっぺん辺りの毛、らしきところを撫でていた。
 嬉しそうに目を細め、その生き物は、わんと鳴く。
「猫じゃなくて、犬?」
 お母さんが呟きながら登場する。
「犬なの? それ」
「犬っていうか、きゃあ!」
 生き物がまとわりついてきたので、妹は思わず悲鳴をあげた。
「何っ、これっ、あったかい!?」
「あぁうん。あったかいんだ」
 お父さんが相づちを打つ。妹は眉をくにゃくにゃとうねらせた。
「これっ、陶器の湯たんぽみたいなっ」
「うん。――通勤途中にいつも見てる骨董屋で、シャッターが半分閉まってて、中がちょっと荒れてて」
「えっ」
「おかしいなぁって思ってたら、店を畳むとかで……挨拶だけして帰ろうと思ったけど、棚の間にコレがいてね。つい、」
「あなた」
 母が、夫に顔を向ける。一音ずつにいちいち重みのある、立派な立派な声色だった。
 お父さんは声を裏返した。
「十万もしなかったよ!」
「買ったの!?」
「だって、可愛かったんだよう」
 だっこしているうちに、こいつ、ぬくもって、わんわん言って動き出しちゃったんだ。お父さんはぬけぬけと言い足した。
「ちょっと、中にお湯をさしてやる必要があるんだけど。他には特別、餌も必要ないんだよ!」
「……、手入れ方法まで習ってきたのねえ」
「!」
 確信犯め、と、誤用を指摘する暇もなくお母さんがお父さんに近づいた。
 わん、わん、と生き物が吠える。
 しっぽの先が炎のようだ。
「ねぇ、何て名前つけようか」
 妹は、すり寄られている間にわくわくしてきたらしい。姉は冷静に、横目で見やった。
「やめときな、あんた、ネーミングセンスないから」
「うわっ、あたしこれでもコピーライターだよう!?」
「休業してんじゃん」
「うっさいよ! 今は配置転換で事務してるだけじゃん」
「ねー。君も、突拍子もない名前で呼ばれたくないよねぇ」
 わん、と生き物が鳴く。
「結局、犬なの猫なの?」
 夫婦がもめているのをよそに、妹が姉に聞いた。
「鼻先が濡れてるか乾いてるかで、違うらしいよ」
 姉が雑学を披露すると、妹がおそるおそる、生き物の鼻先に手を近づけた。
「うわあ! なめた!」
「鼻は?」
「えぇとね……つやつやしてる」
「陶器だもんね、見たままなら」
 姉は、妹の「うっかりお姉ちゃんを信じて鼻を撫でちゃったんですけど」という恨めしげな視線を受けて、謝った。
「じゃあさあ。ねぇお父さん。これ何なの?」
 改めて妹が聞くと、夫婦喧嘩を逃れて、お父さんが声を張り上げた。
「獅子だよ」
「……、まぁ、陶器の獅子の置物、っていう見た目のまんまだよね」
「少し動きが鈍ってきたみたい」
「そういえば、少し冷えてきてる」
 妹が、ぺたっと獅子の腹に触ってみる。
 獅子がぶるぶると震え始めたので、お母さんが沸かしたばかりの湯を入れようとし、
「あっついのはだめ!」
 と揉めにもめて、水で薄めてそこそこの湯温にして与えた。
「あー、ぬっくぬく。ぬくい子。猫みたい」
「猫じゃあないよ」
「分かってるけど猫みたいなんだもん。寝る子が猫なら、ぬくい子はぬこだ」
「うわっ、やっぱりあんまりセンスが」
「何おう?」
 冬に向かう季節、誰の布団で眠るのか、争奪戦の予感がしていた。